平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

第五章  (44)凍りついた舅の心を溶かした十年の涙  P.224  (世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝)

世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝
  第五章 真の家庭が真の人間を完成する ――― 結婚と愛


凍りついた舅の心を溶かした十年の涙  P.224


 「日本人の嫁が密陽(ミリャン)の考婦(孝行心の厚い嫁)になった」という記事が、韓国の様々な日刊紙に一斉に載ったことがありました。宗教団台の紹介で家族の反対を押し切って韓国に嫁いできた日本人の嫁が、体の不自由な姑(しゅうと)と年老いた舅(しゅうと)を真心込めて奉養し、周囲の人たちの推薦で親孝行賞(慶尚南道密陽市)を受けたという内容です。彼女は結婚した翌日から、身体障害二級で下半身不随の姑を背負って病院を転々としながら看病を始めました。州都と姑の世話をするために一度も心置きなく帰国できなかった彼女は、当然の責務を果たしただけだと、親孝行賞をもらったことに対してかえって心苦しく思ったそうです。


 その日本人の嫁は、私たちの教会の「交叉(こうさ)祝福」を通して韓国に来た八島和子です。交叉祝福とは、宗教、国家、人種を超越して、男女が結婚で結ばれることを意味します。農村に行けば、結婚できない青年たちがあふれています。交叉祝福で韓国の農村の青年たちと結婚した新婦たちは、どのような条件も付けずに韓国に来て夫に会い、家庭を築いて暮らしています。また、病気の舅や姑を助け、挫折(ざせつ)していた夫を励まし、子供を生んで育てます。彼女たちは、韓国人が暮らすのが大変だからと離れてしまった農村を守り、生き返らせています。どれほどありがたく、貴いことでしょうか。このような高貴なことが、すでに三十年以上続いていました。


 今まで交叉祝福を通して韓国に定着した外国の女性達は、数千人を超えます。若者たちが皆出て行って、これまで赤ん坊の泣き声を聞くことができなかった村の年寄りたちは、彼女たちが生んだ子供を自分の孫が生まれたかのように喜んで迎えます。忠清道(チュンチョンド)のある地域の小学校は、全生徒八十人中、半分以上が交叉祝福で結ばれた私たちの教会の信徒の二世だそうです。その学校の校長は、これ以上生徒の人数が減れば学校を閉鎖しなければならないと、私たちの教会の信徒たちがほかの地域に引っ越さないように毎日祈っています。今、韓国では、交叉祝福で生まれた子供たち二万人以上が初等教育を受けています。


 最近も、八月十五日の光復(こうふく)節になると、「日本人は犯した罪を謝罪します」と言って頭を下げる、特別な日本人の姿がテレビニュースに登場します。自分が直接犯した罪ではないのに、先祖が犯した罪を代わりに謝罪するのです。彼らもやはり、十中八九、交叉祝福を通して国家間の障壁を崩した私たちの教会の信徒です。彼らのおかげで、日本を怨讐(おんしゅう)(深い怨みのあるかたき、敵)のように思っていた私たちの心の壁を大きく崩すことができました。


 私によく従って来たとても英明な青年がいました。結婚の時が来て、一九八八年に配偶者を求めたところ、相手は日本の女性でした。青年の父親は「よりによって日本人を嫁に迎えなければならないとは・・・」と言葉を失ったそうです。彼は、日本の統治時代に徴用で連れて行かれ、岩手の炭鉱で強制労働に従事した人でした。仕事がとてもつらく、死を覚悟して炭鉱を脱出した彼は、下関まで数十日かけて歩いていき、釜山(プサン)行きの船に乗ってようやく故国に戻ってきました。ですから、日本に対する憎悪は天にも届くかと思われるほどでした。


「このとんでもない親不孝者め!わが家の族譜からすぐに抜いてしまおう。わが家には一歩たりとも怨讐の国の女を入れることはできない。すぐに連れて消えてしまえ!お前とは意見が合わん。家を出ようが死のうがお前の勝手にしろ!」

 父親の態度は強硬でした。しかし、青年は自らの意思を貫き、日本人女性と結婚した後、楽安(ナクアン)(全羅南道)にある故郷の家に新婦を連れて行きました。父親は門を開けてくれませんでした。渋々二人の結婚を受け入れた後も嫁に対するいじめは続きました。嫁がつらそうにしていると、「おまえたちが私にしたことにくらべれば、このくらいは何でもない。こうなることも分からずに、この家に嫁に来たのか」と叱責(しっせき)しました。


 また、舅は名節(正月は秋夕(チュソク)など韓国の伝統的な祝日のこと)で家族が集まるたびに、日本の嫁をそばに座らせて、岩手炭鉱時代の話を繰り返し聞かせました。そのたびに嫁は、「お父さん。私が日本の代わりに謝罪します。申し訳ありませんでした」と涙を流して許しを請いました。日本の嫁は、舅の心の怨みがなくなるまで、幾度となく繰り返される話を最後まで聞いて、何度も頭を下げました。


 ようやって十年くらい経って、ようやく舅は嫁に対するいじめを止めました。怨讐に対するような冷たい態度は消え、嫁をかわいがるようになったので、驚いた家族が尋ねました。

「最近、嫁のことをどうしてあんなにかわいがるのですか。日本の女性なのに憎くないのですか」

「もう憎くはない。心の中に積もり積もった怨みはすべてなくなった。これまでだって嫁を憎んでいたわけではないのだ。徴用された時の怨みを嫁にぶつけていただけだ。この子のおかげで私の怨みがすべて解けた。これからは、私の嫁だからかわいがらなくては」

日本人が犯した罪を日本女性の嫁が代わりに償ったのです。人類が世界平和に向かう贖罪(しょくざい)の道とはこのようなものです。



×

非ログインユーザーとして返信する