平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

《⑳-2》「松明(顕進様)」とは、お父様から火をつけられて燃えるもの

このブログは《ほふられた小羊》から許可を得て転載させて頂いています。


《「ほふられた小羊」のリブログです》


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前回の記事が下記である

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 上の記事・・・黙示録8:10の「たいまつ(松明)」が顕進様を比喩しているという御言葉を紹介したが、以下に、少しコメントを加える。




 〔A〕の御言葉を読んで、それでも、顕進様を批判する者は神様とお父様の涙に背を向ける者である。隠れてでも顕進様を保護する者にならなければならないと思う。

〔A〕

【み言選集612巻 2009年05月25日<天の眷属で統治するひとつの世界>】


(235ページ)


 『文総裁も知らないうちに、皆さんも知らないうちに、乱れてしまいました。分かってて乱れたのではありません。そうです。

 (訓読)

  「そうなりませんでしたか」というのです。先生が知らない時、皆さんが知らない時にそうなったというのです。

 (訓読)

 そうではないという人はいますか。違うとは言えないのです。全体の、否定的な環境の中で、一人、ホタルのようにキラキラ光る光を持って生きてきた文総裁の生涯がどれほど凄惨だったか知っているのかというのです。』


(236ページ)


 『神様はそれを見て、先生以上に号泣するような場面があったことを皆さんは知っておかなければなりません。なぜ私が助けることができなかったのかというのです。


 このように囹圄に閉じ込められ、真なる息子になろうとする彼を助けることができない、逆天地の裏切りの松明を持つ神様の立場がどれほど哀れであったのかを知らなければなりません。 皆さんはそれを感じなければなりません。』



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サタンの罪状を覆い隠されるお父様

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「文総裁も知らないうちに・・」起こったことで、「真の息子になろうとする彼を助けることができない・・」と語られているが、この御言葉に現れていない重要な内容が秘められていることを理解しなければならないと思われる。


 お父様の生涯はサタンを自然屈服させる路程であったことは知るところだが、これもお父様が幹部達の背後にいるサタンを予め無条件に許されていることからこの様に語られたのであった。その為に、サタンの罪状の一切を真の愛によって覆い隠す為に「文総裁も知らないうちに・・・」と語られたのであった。


 お父様が何も知らずに「騙された」草束事件だったのではないことを知らなければならない。


 イエス様が「5:39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」と語られたのは、サタンが自分を打った時、打った者の責任ではなく、打たれた側に責任があるという、真の愛の基準から語られたことであり、だから、仇討もしない、弁解もしない。そして、サタンから二倍三倍の仕打ちを受けたとしても許される為であった。



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 お父様は、《特別集会での御言(1995.8.30)》で次のように語られている

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『それゆえ、お母さん文化圏を立てるのに、血が流れる立場を越えなければならないのです。カインたるサタンが国家的な血を流させる、その血を見て、神様は憤慨してはいけないのです。「よくやった。よくやった」というのです。アベルの血を流させたのは、カインを救うためなのです。これは、サタン世界にもなく、人間世界にもない心です。


 完全に引っ繰り返されて、怨讐から血筋がつながった愛の怨讐の子供を、自分の息子以上に愛することのできる道を発見しなければ、救う道がないというのです。神様は怨讐の血を流すのではなく、自分の息子・娘が血を流すのを見て喜ばなければなりません。反対です。分かりましたか。蕩減復帰なのです。


 私たちがこの様な御言葉に遭遇していること事態、最大の恵みである。何故なら、真の愛がお父様の実体となって私たちの目に現れているからである。

 お父様は顕進様をサタンが奪い取っていったのではなく、お父様が一切の責任を負われることにより、ご自身が顕進様を供え物にする為に、進んで矢を放たれたと言える。だからと言って顕進様に石を投げる者があるとするなら、甚だしい間違いである。





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私感だが・・・

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 当時の幹部たちにとって顕進様という存在は幹部たちの悪行を許さないという立場で、常にお父様に厳しく訴え続ける存在だった。しかしお父様はその事によって幹部達を退けることは一度もなさらなかったと思っている。

 もし、顕進様がお父様の真の愛の基準と一体となって、悪と戦うのではなく、彼らを許し、彼らの悪事を覆い隠してあげようとおられたなら、決して草束事件は起きようもなかったと思う。


 もし、そうなっていれば、下記の黙示録は成就することはなかったと思う。


『8:10 第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空(長成期完成級)から(地に)落ちてきた。 (※1)そしてそれは、川の三分の一(サタンは三分の二まで占有できるが、三分の一は天が所有するので犯すことができない)とその水源(真の愛・御言葉の根源、お父様ご自身)との上に落ちた(顕進様がお父様に帰った)。』



 上記の(※1)は、青文字からも分かるように、お父様が顕進様をイサク献祭として捧げられることによって、サタンが100%占有することができなくなり、三分の一が順次、お父様に帰って重生に向かうようになることを言っていると思われる。


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