平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

⑤ 【1992年の御言葉】「兄と妹」=「文先生とお母様」 ➡ 妻をサタンに差し出した  (これを否定するなら御言葉と文先生とお母様を否定することとなる)

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⑤ 【1992年の御言葉】「兄と妹」=「文先生とお母様」 ➡ 妻をサタンに差し出した  (これを否定するなら御言葉と文先生とお母様を否定することとなる)   


これまでの記事

① 誰も知らなかった!! お母様の過ちが摂理となった ➡ 「主管性転倒式(隠された内的摂理)」とは何か?


➁ 統一教会最大のタブー 原理にはない「事実蕩減」 ➡ 「堕落したのだから、堕落から始めないといけない」 (1995年の訪韓修 日本女性達に初めて語った)


③ 文先生が妻(お母様)を差し出した根拠 ➡ 原理講論の「アブラハム家庭」にあった 


④ 「妻(お母様)をサタンに差し出す摂理」 ➡ 【1992年の御言葉】真の父母宣布時代にもあった 


はじめに・・・

この記事を読む者 誰もが 心情が大きく揺らぎます

聞いたことがない 当然です 中心家庭の事実蕩減ですから

この記事を否定するなら 御言葉と文先生とお母様を否定することになります

親は子供に自分の苦しみを語ろうとはしません

ならば、どうして、御言葉でその痕跡を残したのか

その答えを見つけ出すのが 子供たる私の本分だと思うからです

その究極的な答えは 真の愛です すべてがこれに繋がります



今回は(※6)です。


🔶 (※6)です。

 「兄が責任を果たした後に従っていくのが妹の道であり、娘の道なのです。」


ここの「兄」とは(※4)の「アダム」のことですから、文先生になります。

それでは、(※6)の「妹」「娘」とは一体誰のことでしょうか。

こ「妹」とは、③の記事で取りあげた原理講論〔A〕に記されている「典型路程」に由来しているのです。つまり、アブラハムが妻サラを妹としてパロに差し出したことを文先生とお母様に重ねて言っているのです。


お母様が天使長的人物と関係した

あくまでも、(※6)の「妹」とは文先生の妻であるお母様になります。

後のイエスである文先生が妻であるお母様を妹として天使長的人物に差し出したことに対して、お母様は「兄が責任を果たした後に従っていくのが妹の道であり、娘の道なのです。」と語られて、お母様が天使長的人物と愛の関係を持ったことが分かるのです。


第一夫人にもあった

ですから、原理講論〔A〕の「典型路程」は文先生とお母様が行かなければならない事実蕩減として、文先生が予め原理講論に預示(預言)していたということです。そして、このような路程は第一夫人に対してもなされたことが御言葉〔D〕から分かります。


【1992年】のみ言葉 

『第二回「七・一節」』

   「真の父母の武器とは、真の愛と真の生命の種 (日韓一体化運動)」 1992年7月1日 ソウル・本部教会にて


 (※1)お母様は先生の後に隠れていて、先生が戦ったのです。(※2)(お母様が)堕落によって(※3)主管性転倒をしたので、(※4)アダム(文先生)が責任を負わなければならないのです。


そうでしょう? 


(※5)エバは何も知らずにいたのです。ですから、兄としての責任を果たさなければならないし、神様の長子としての責任を果たさなければならないのです。(※6)兄が責任を果たした後に従っていくのが妹の道であり、娘の道なのです。

ですから、(※7)先生がサタン世界の矢を一身に受けながら、個人的世界版図、氏族、民族と越えてきたのです。今日まで私たち祝福家庭に対して、どんなに反対してきたことでしょうか? 


それで今回、(※8)日本人と韓国人が完全に交差結婚したのです。韓国人は日本人と、日本人は韓国人と一〇〇パーセント結婚したのですね。




次の(※7)は次回にします。

どうして、韓半島に再臨主が生まれるようになったのか?  教科書には書けない韓国歴史  外国人が記した李氏朝鮮時代の風習「朝鮮事情」(フランス宣教師 シャルル・ダレ)

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いまは、再臨摂理の延長時代
いまは、韓半島の事情が再燃している時代とも言える
歴史はどんな姿であれ、その国の真実が現れている
どうして、このような半島に再臨主が生まれることになったのか
どうして、神様が足を下ろす国になったたのか
興味がわいてきた




教科書には書けない韓国歴史  外国人が記した李氏朝鮮時代の風習「朝鮮事情」(フランス宣教師 シャルル・ダレ)

韓半島について・・・、150前にフランス宣教師が書いた「朝鮮事情」

教科書には書けない韓国歴史 外国人が記した李氏朝鮮時代の風習「朝鮮事情」シャルル・ダレ【なるためJAPAN】

④ 「妻(お母様)をサタンに差し出す摂理」 ➡ 【1992年の御言葉】真の父母宣布時代にもあった

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「妻(お母様)をサタンに差し出す摂理」 ➡ 【1992年の御言葉】真の父母宣布時代にもあった

引き裂かれた父母




驚きの時代圏は終わった
  サタンはいつもお父様の近くにいた
  いつも顔をあげて堂々と振る舞った
  その人物は 統一教会の信徒たちから尊敬を受けた



あなたも強弁するトミー(peace2・奇知外)と同じか・・・??

原理講論〔A〕に・・・

「(※)このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。」と記されている。

にもかかわらず、お父様が妻(お母様)を天使長的人物に差し出したという根拠にはならない、777の記事は大嘘だと強弁する兄弟が多い。その代表がトミーだ。



これまでの記事

① 誰も知らなかった!! お母様の過ちが摂理となった ➡ 「主管性転倒式(隠された内的摂理)」とは何か?


➁ 統一教会最大のタブー 原理にはない「事実蕩減」 ➡ 「堕落したのだから、堕落から始めないといけない」 (1995年の訪韓修 日本女性達に初めて語った)


③ 文先生が妻(お母様)を差し出した根拠 ➡ 原理講論の「アブラハム家庭」にあった 



お母様の過ちの原因
・・・ 原理講論〔A〕〔B〕(「アブラハムによるイエスの典型路程」)にあった


 過ちを犯した「四つの宣言」

  1.『独生女宣言』

  2.『お父様は堕落した血統で生まれた』

  3.『お父様の第一夫人との結婚は間違いであった』

  4.『お父様の原罪を脱いでさしあげたのは私だ』


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




下記の【1992年】の「真の父母宣布」時代圏の御言葉をお読みください。


お母様が堕落したことがはっきり語られている

下記の御言葉は【1992】年の真の父母宣布時代圏のものです。この時代は文先生が40年サタン分立路程を勝利され、再び1945年の公生涯を出発した時のメシヤの位置に戻った立場です。


🔶 まず最初に下記の御言葉の(※1)~(※4)です。ここにお母様が堕落したことがはっきり語られている。


『(※1)お母様は先生の後に隠れていて、先生が戦ったのです。(※2)(お母様が)堕落によって(※3)主管性転倒をしたので、(※4)アダム(文先生)が責任を負わなければならないのです。』


この(※3)の「アダム」とは誰のことか。

これが六千年前のアダムならば、原理講論では最初のアダムは責任を担う中心人物には立てなかったのですから、この(※4)で『「アダム」が責任を負わなければならない』とあるこの「アダム」は文先生になる。


それでは、(※1)の「お母様は先生の後に隠れていて・・・」とは何を意味しているのか。

この「隠れて」とあるのは、お母様がお父様の後ろに隠れて罪を隠していいることをあらわしているのです。そして、その罪がどのような罪かと見ると、(※2)の「(お母様が)堕落」であり、(※3)の「主管性転倒」であるということです。


🔶次の(※5)~(※7)です。


『(※5)エバは何も知らずにいたのです。ですから、(※6)兄としての責任を果たさなければならないし、神様の長子としての責任を果たさなければならないのです。兄が責任を果たした後に従っていくのが妹の道であり、娘の道なのです。

ですから、(※7)先生がサタン世界の矢を一身に受けながら、個人的世界版図、氏族、民族と越えてきたのです。今日まで私たち祝福家庭に対して、どんなに反対してきたことでしょうか? 』


この(※5)の「エバは何も知らずにいた」とは何を意味しているのかです。

これは59歳のお母様が堕落する時、堕落したことの自覚がなかったことを言っているのです。この堕落問題はお母様が17の時、1960年の御成婚直前にもありました。この時もお母様が堕落したという自覚がなかったことが御言葉から分かります。

何故、お母様に堕落したという自覚がないのでしょうか。

その理由は、お父様のサタンを主人として侍らなければならないとい理由です。つまり、お父様がお母様をサタンに差し出して自然屈服させる為には、食口として必要な条件を一つとして満たしてはいけなかった為です。ですから、お父様はお母様に対して、「原理教育を受けさせてはならず、一週間断食もさせてはならず、開拓伝道にも行かせてはならなかった」ことをはっきりと語られていたのです。


分かりますね。これが事実蕩減に必要な環境設定だったのです。


さらにはっきり言えば、お母様を天使長的人物に差し出す場合、お母様が進んでその人物と愛の関係をもつことができるように教育したことが、推測ではなく、御言葉から分かります。それが次の🔴です。


 🔴「〔D〕そこに土産物をつけていくらでも(妻を)渡してあげます」

という御言葉から分かります。


もう一つが次です。変な解釈しないでそのまま理解してくださいね。


 🔴『〔E〕自分がとても愛している人(花嫁、妻)を怨讐の前に譲って、福を祈り、「わたしの代わりに、わたし以上に愛しなさい」という心を持つことができてこそ、神様の心情を理解することができるのです。何のことか、分かりますか?』




次の(※6)(※7)は次回にします。



【1992年】のみ言葉 

『第二回「七・一節」』

   「真の父母の武器とは、真の愛と真の生命の種 (日韓一体化運動)」 1992年7月1日 ソウル・本部教会にて


 (※1)お母様は先生の後に隠れていて、先生が戦ったのです。(※2)(お母様が)堕落によって(※3)主管性転倒をしたので、(※4)アダム(文先生)が責任を負わなければならないのです。


そうでしょう? 


(※5)エバは何も知らずにいたのです。ですから、(※6)兄としての責任を果たさなければならないし、神様の長子としての責任を果たさなければならないのです。兄が責任を果たした後に従っていくのが妹の道であり、娘の道なのです。

ですから、(※7)先生がサタン世界の矢を一身に受けながら、個人的世界版図、氏族、民族と越えてきたのです。今日まで私たち祝福家庭に対して、どんなに反対してきたことでしょうか? 


それで今回、(※8)日本人と韓国人が完全に交差結婚したのです。韓国人は日本人と、日本人は韓国人と一〇〇パーセント結婚したのですね。




『原理講論』  後編 第一章  第三節 (2)①


アダムとエバが未完成期において、まだ兄妹のような立場にいたとき、天使長がエバを奪ったので、その子女たちと万物世界のすべてが、サタンの主管下に属するようになった。したがって、アブラハムがこれを蕩減復帰するための条件を立てるためには、既に明らかにしたように、兄妹のような立場から、妻サライを、いったんサタンの実体であるパロに奪わせたのち、彼の妻の立場から、再び彼女を取り返すと同時に、全人類を象徴するロトと、万物世界を象徴する財物を取り返さなければならなかったのである(創一四・16)。


このようなアブラハムの路程は、後日イエスが来て歩まなければならない典型路程となるのである。アブラハムは、このような蕩減条件を立てたのちに、初めて、鳩と羊と雌牛でもって「象徴献祭」をささげることができたのである。


ーーーーーーーーーー


『原理講論』 後編 第一章  第三節  (一)(2)


アブラハムは、イサクを供え物としてささげるときにも、「象徴献祭」をささげたときと同じように、まず、アダムの家庭を復帰する象徴的な蕩減条件を立てて、イサク献祭のための信仰を立てなければならなかった。ゆえに、再びアブラハムは自分の妻サラと兄妹の立場に立って、サラをゲラルの王アビメレクに奪われ、いったん、彼の妻になった立場から、再び取り戻すという摂理が行われた。アブラハムは、このときも、サラと共に人類を象徴する男女の奴隷と、万物世界を象徴する財物を取り戻して出てきたのである(創二〇・1~16)。

「AⅠでフェイクを作る」 VS 「AIでフェイクを見抜く」

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「AⅠでフェイクを作る」 VS 「AIでフェイクを見抜く」


あなたはどちらが勝つと思いますか?


 これはフェイク画像!


私は・・・「AIでフェイク情報を見抜く」が勝つと思います。
これからの時代はフェイクが後退する時代です。国家で支配している歴史観もフェイクが後退する時代です。その後押しするのが科学分野の急成長にあると思います。


フェイク動画見抜くAIを開発





ホントに見破れる?AIとフェイクニュースにまつわる課題を徹底解説 | AIZINE(エーアイジン)

第七章 (58)文化事業として実践する創造のみ業  P.296  (世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝) 20

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世界平和を愛する世界人として  文鮮明自叙伝
  第七章 韓国の未来、世界の未来 ――― 理想郷に向かって

第七章 韓国の未来、世界の未来 ――― 理想郷に向かって


(58)文化事業として実践する創造のみ業  P.296


 私は、一九八八年のソウル・オリンピックが世界的な冷戦構造を決定的に変える平和の祭典になると予感し、世界各国に広がっている食口(シック)たちをソウルに呼び集めました。そして、自分の国の選手団を案内し、応援する責任を持ち、韓国の記念品をプレゼントし、食事をもてなすようにしました。予測どおり、ソウル・オリンピックには中国もソ連も参加し、共産陣営と自由陣営がすべて融和する平和の祝典となりました。開会式の当日、私は蚕室(チャムシル)のメーンスタジアムの一般観覧席に座り、平和と融和の宴を喜んで見ていました。


 オリンピックが終わった直後、私はその熱気を受け継いで、「一和天馬(イルファチョンマ)」プロサッカーチームを創設しました。一和天馬チームは、優勝も数回し、サッカーチームとしての名声を築いてきました。その数年後には、今度はブラジルサッカーの本拠地ブラジルで「セネ」と「ソロカバ」というプロサッカーチームを創設し、今に至るまで運営しています。さまざまなスポーツの中で、特別にサッカーチームを作ったのは、私がサッカーが好きだからです。私は、幼い頃から運動をするのが好きで、ボクシングもやり、韓国の伝統武術もしましたが、年を取ってからも喜んでみるスポーツは断然サッカーです。学生時代には、学校の運動場をあちこち駆け回ってボールを蹴(け)っていましたが、今は見るのを楽しみます。ソウルでワールドカップが開かれたときは、三台のテレビを並べておいて、中継する全部の競技を見ました。特に韓国が出るゲームは、一ゲームも見逃しませんでした。


 サッカーは人生の縮図です。私がいくら上手にボールを運んでも、自分よりも速くて上手な相手チームの選手が、瞬間的に自分のボールを奪っていけば、結局は何もなりません。また、ボールをうまく運んでシュートを打っても、ゴールポストに当たって跳ね返ればそれで終わりです。ボールを運んで行くのは自分のすることですが、ボールをゴールに入れるのは、自分一人の力ではできません。朴智星(パクチソン)選手のように、絶妙のタイミングでアシストしてくれるチームメイトがいなければならず、粘り強く相手チームをディフェンスする李榮杓(イヨンビョ)のような選手いなければなりません。


 しかし、最も重要な人は、フィールドの外でチーム全体を見ている監督です。直接走ってボールをゴールすることはしませんが、監督の力は、選手全体を合わせたものよりももっと重要です。監督は、ちょうど神様が私たちの知り得ない世界をご覧になって私たちにサインを送るように、選手たちが見ることのできないものを見ます。監督のサインによく従いさえすれば、ゲームは百発百中勝ちます。しかし、監督がいくらサインを送っても、愚かな選手が気づかずに自分勝手にボールを回せば、ゲームは負けるしかありません。


 サッカーは勝敗を競う競技ですが、国家間の平和と協力の増進にも大きな力を及ぼします。全世界のスポーツの祭典であるオリンピックよりも、ワールドカップの中継放送を見る人が二倍も多いというのですから、人類がどれほどサッカーが好きかを知ることができます。転がっていく一つのボールをめぐって、国と人種、宗教、文化を超えた融和の場をつくる力がサッカーにはあります。サッカーと人類の平和は、よく調和する一組のパートナーです。


 ブラジルのスポーツ大臣まで務めたサッカーの王様ペレが、ソウルの漢南道(ハンナンド)にある私の家を訪ねてきたことがあります。人々はペレを世界最高のサッカー選手として記憶していますが、私が出会った彼は、素晴らしい平和運動家でした。彼がサッカーを通して成し遂げようとしたことが、まさに世界平和だったからです。私と会ったペレは、にっこり笑ってこのように言いました。

「以前にアフリカのガボンでサッカーの試合をしたことがあるのですが、当時、そこは戦争中だったのです。爆弾が落ちてくる中でどうやってゲームをしたと思いますか? ありがたいことに、ゲームをしている間は休戦したのです。私はその時、サッカーが単にボールを追いかけ回すだけのスポーツではないという事実をはっきりと悟りました。サッカーは、世界平和をつくりあげていく人類共通の素晴らしい手段です。それ以降、私はサッカーを通して世界平和運動をしなければならないと誓ったのです。」


 ペレ氏があまりにも素晴らしく見えたので、私は彼の手をぎゅっと握りました。競争の激しい世の中を生きていれば、ストレスが多いのです。ストレスは生活を緊張させ、心の平安を奪い、ストレスが積み重なれば、一人一人の神経が逆立ち、公然と争いを起こしやすくなります。そのような緊張状態を健全に解放してくれる者こそ、スポーツや芸術活動のような趣味生活です。スポーツと芸術は、人間の押さえつけられた欲求を解放する方法であるにとどまらず、人類を一つに結ぶ道具です。私がサッカーチームを運営し、バレエ団を率いる理由は、そのような活動がまさに平和をもたらす手段となるからです。ペレ氏は、すでにそのような私の心を知っていました。


 志を同じくした私たちは、その場で国際的な規模の新しいサッカー大会である「ピースカップ」を創設しました。そして、二〇〇三年から二年ごとに「ピースカップ大会」を開き、世界の有名なサッカーチームを韓国に呼んで試合を行いました。しかし、二〇〇九年に開かれる第四回大会からは、開催地を世界のさまざまな国に変える計画です。まず、二〇〇九年には、サッカーの本場と言われるスペインのアンダルシア地方で開かれる予定です。スペイン最高のクラブチームであるレアル・マドリードとセビージャFC、フランスのリヨンに加え、イギリスの名門クラブチームが参加し、世界最高のサッカー競技を繰り広げるでしょう。「ピースカップ」を運営して生じる収益金は、経済事情の厳しい国の青少年サッカープログラムを援助する経費として使います。特に、身体的障害を持つ子供たちが、サッカーを通して夢を失うことなく生きていけるよう、多くの努力をしています。(第四回ピースカップ大会は、二〇〇九年七月二十四日から八月三日にかけて、スペインんアンダルシア州各地と首都マドリードで行われた)


 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と共に、アフリカのリベリアで青少年サッカー大会を開いたりもしました。リベリアは、十五年以上続いた部族間の紛争(内戦)によって、人々の暮らしがとても苦しい所です。たびたび起こる内戦によって人口が急減したために国連の特別保護を受けているその国の子供たちと青少年が、一緒に集まってサッカーをしながら平和を謳歌(おうか)しました。ボールを蹴(け)りながら楽しんでいる間に、部族間で互いに融和する精神を自然と身に付けるのです。


 私たちが精魂を込めて準備していることがもう一つあります。他でもなく、イスラエルとパレスチナの居住地域の真ん中に立派なサッカー場を造ることです。二つの国の子供たちを相手に、ヨーロッパの有名なコーチを呼んでサッカーアカデミーも開く計画です。このような活動をとおして、大人たちは互いに銃口を向け合っていたとしても、子供たちはサッカー場に集まってボールを蹴るようにしようと思うのです。多くの人が非現実的だと首を横に振りますが、私たちは必ずやり遂げます。今もイスラエルの長官はサッカー場をイスラエルの地域に造らなければならないと言い、パレスチナの長官は自分たちの地域に造らなければならないと言い張っていますが、私は必ず二つの地をつなぐ所に造ります。私は周囲の圧迫に押されて夢をあきらめる人ではなく、頑固一徹の意思で夢を成し遂げる人です。


 誰もが不可能だと言っていたことの中の一つがバレエ団を作ることでした。最近は、韓国でもバレエを好む人たちが増え、バレエのスターまで出てきましたが、私がバレエ団を作った当時は、本当にバレエの不毛の地にほかなりませんでした。


 バレエを見るたびに、私は、天の国の芸術とはまさにあのようなものだと思うのです。バレリーナがつま先でまっすぐ立って頭を天に突き上げれば、その姿勢だけでも完璧(かんぺき)に神様を畏敬する姿です。それほど一途(いちず)に神様を畏敬(いけい)していると見えるものは他にありません。バレエは、神様が人間に下さった美しい体を活かして、その方に愛を表現する最高の芸術です。


 一九八四年に創設された「ユニバーサル・バレエ団」は「白鳥の湖」と「くるみ割り人形」をはじめ、「ドンキ・ホーテ」「ジゼル」、そしてオリジナル創作バレエの「沈清(シムチュン)」「春香伝(チュニャンジョン)」を公演し、今では国際的なレベルに成長しました。世界の有名な舞台から招待を受けているユニバーサル・バレエ団のバレリーナたちは、躍動的な西洋バレエに韓国人特有の静的な美しさを加え、洋の東西がよく調和した公演を見せてくれることで評価を受けています。ユニバーサル・バレエ団は、アメリカのワシントンDCにバレエ学校も所有しています。また私は、「ニューヨークシティ・シンフォニー・オーケストラ」と国際合唱団の「ニューホープ・シンガーズ」も作りました。


 芸術は神様の創造の偉業に似ています。芸術家が自らの作品のために渾身(こんしん)の力を注ぐように、神様も自ら創造された人間とこの世界のためにすべての心を注がれたのです。「神は『光あれ』と言われた。すると光があった」(創世記一章三節)という「聖書」のみ言(ことば)は、一言で光が自然とつくられたような印象を与えますが、絶対にそうではありません。神様が光をつくり、地をつくることにすべての力を注がれたように、舞台の上に立ったバレリーナの踊りも、死力を尽くした後に誕生した創造の結実です。


 サッカーも同じです。九十分間、サッカー選手は死力を尽くします。どこから飛んでくるか分からないボールに向かって走っていき、ゴールに向かって思い切り蹴飛ばす、そこに生涯のあらゆるものをかけ、神様がこの世界を創造するときのようなエネルギーを注ぎます。自分の持っているものを百パーセント完全に注ぎ込むと、一瞬のために自分を丸ごと捧げることは、何よりも偉大なことです。