★3 文先生の生涯が凝縮された御言葉・・「イエス様が再臨の主の来られる前に、天使長として雲に乗って来るという話です。」
これまでの記事が下記の「★1」と「★2」です。
★1 天聖経により、エバの罪を隠すことができない時代になった
★2(それでこそ真のアダム)お父様はお母様を真の愛をもって保護された
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本日は『★3』です
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このシリーズの御言葉が下記です。
男性訪韓修練会 1995.1.11-19
家庭における女性の使命
文先生は、それを知ったのです。旧約時代に失敗したことを蕩減するのがイエス様と洗礼ヨハネだったのです。天使長が堕落したために、復帰された天使長がアダムの前に立つのです。
イエス様はアダムであり、復帰された天使長の立場が洗礼ヨハネなのです。
(※1)洗礼ヨハネは罪を隠すような悪魔の天使長ではなく、罪の背後をすべて明らかにして、それを国家と国民に教えてあげて、アダム圏のイエス様につなぐようにする天使長の使命を持って現れるべきなのです。天使が堕落したために蕩減復帰の立場で、そういう条件を立てざるを得ないのです。
ですから、イエス様は完成していないのです。堕落したアダムと同じなのです。
国家的基準の勝利基台は持っているのですが、世界基準になっていないのです。それは、ちょうど完成した真の父母の前における未完成なる天使長の立場です。
これは、旧約時代にエリヤとイエス様が失敗したことを蕩減復帰するために、(※2)洗礼ヨハネの代わりにイエス様が再臨の主の来られる前に、天使長として雲に乗って来るという話です。
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ここから、本日の考察です。
上記の御言葉は天聖経ではありません。これは、男性訪韓修の御言葉です。
前回は(※1)の検証しましたので、本日は・・・
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(※2)の検証
「雲に乗ってやって来る」のは誰か分かりますか???
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(※2)「洗礼ヨハネの代わりにイエス様が再臨の主の来られる前に、天使長として雲に乗って来るという話です。」
この御言葉は1992年の《 真の父母宣布にサタンが侵入した 》後に、1995年に男性訪韓修で語られたものです。つまり、1945年の時、キリスト教の失敗《 ① ➁ ③ 》により文先生は《 洗礼ヨハネのような立場 》に立たざるを得なくなりました。そして、《 40年サタン分立路程 》を勝利されて1992年に「真の父母宣布」を成されましたが、お母様がお父様の命令に絶対服従することができなかった為、お母様は所有権転換《 ① ➁ 》して血統転換をすることができませんでした。
結局は、1992年の時、絶対服従することができず、《 お母様が洗礼ヨハネの使命 》を果たすことができませんでした。そして、お母様も幹部たちもメシヤを迎える基台を造成することができず、文先生が実体のメシヤとして世界的基準で立つことができませんでした。
そのことが、(※2)「洗礼ヨハネの代わりにイエス様が再臨の主の来られる前に、天使長として雲に乗って来るという話です。」という御言葉になっているのです。
つまり、文先生は本来であれば、メシヤとして雲(聖徒たちの群れ)に乗ってやって来るのですが、1945年のキリスト教の失敗と、1992年の失敗により、文先生がメシヤの位置に立つことができなくなってしまったのです。そして、継続的に洗礼ヨハネのような立場に立たざるをえなくなって、サタン分立しなければならに立場に立たれたことを、1995年の時、「(文先生が)天使長として雲に乗って来るという話です。」と言っているのです。
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その為、天聖経をでは・・・
「再臨主が来る」と全て未来形で語られていた
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天聖経を発表された時、文先生の年齢は83歳です。いつ霊界に逝ってもいいと語られていた年齢です。この年齢になっても「再臨主が来る」と語られているだけで、「再臨主が来た」とは一言も語られていないのはどうしてでしょうか。
上記の御言葉にあるように、イエス様も洗礼ヨハネの立場で十字架で逝かれたように、文先生も洗礼ヨハネの立場で聖和されたのではないでしょうか。つまり、イエス様の死は旧約時代から新約時代を開かれたように、文先生の聖和は新約時代から成約時代を開かれたのではないでしょうか。その為に、堕落人間の《 総蕩減を完了させ 》、一身に罪状を肩代わりされて逝かれたのがお父様の聖和だったのではないでしょうか。
このテーマは、信徒なら誰もが答えを見出さ中ればならない最重要テーマではないかと思います。
そして、結局は、文先生はメシヤとして来られながら、メシヤとして人類の前に立たれたのは1945年の時のキリスト教が失敗する直前と、1992年の真の父母宣布の時だけであったということです。その他、聖和される直前までは、キリスト教だけではなく、統一教会からも、幹部たちからも、中心家庭からも、誰からも理解されず、迫害され、疎まれ、最後は一日も早く《 死ぬことを望まれて 》聖和された文先生だったことが御言葉の総観から見えてくるのです。