統一教会は主体的な内的選民であり、韓国は外的選民
韓国は選民であるという御言葉を二つ紹介します。
一つは〔A〕の原理講論から、もう一つは〔B〕の天聖経からの抜粋です。
特に〔B〕から分かりますように、韓国が選民という恩恵を受ける為には、四三〇家庭が中心となって責任を果たしたうえで韓国がその恩恵を受けることができ、そのうえで、第三イスラエル圏内で蕩減条件を成立させることができるとあります。
何を言いたいのかと言いますと、選民である韓国はあくまでも外的なものであり、韓国だけでは選民と言える資格は持っていないことを意味しています。韓国が選民としての責任を果たす為には、内的存在である第三イスラエルの統一教会がその責任を果たすことによってその恩恵を受けるということです。
〔A〕
原理講論 第六章 再臨論
第三節 (三)(3)
「第一イスラエルも苦難の道を歩み、第二イスラエルもそれと同じ路程を歩んだのであるから、第三イスラエルとなる韓国民族も、やはりまた、正にその悲惨な道を歩まざるを得ないのである。
韓国民族が歩んできた悲惨な歴史路程は、このように神の選民として歩まなければならない当然の道であったので、実際には、その苦難の道が結果的に韓国民族をどれほど大きな幸福へ導くものとなったかもしれないのである。」
〔B〕
天聖経 祝福家庭
第三章 四 1.四百三十家庭の数理的意味
「四百三十家庭を祝福することによって、どんなことが起こったかといえば、大韓民国はこれから統一教会と連結することができる立場に立ったというのです。
それは何を意味するのかといえば、韓国の民は、宗教を信じなくとも、四百三十家庭を中心として第三イスラエル圏の恩恵を受けることができる圏内で蕩減条件を成立させることができるということです。
それで大韓民国が選民だということを発表することができました。選民圏が形成されたというのです。」