平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

お母様と第一夫人 レアとラケルの摂理  永遠の母を標榜した愛の道

永遠の母を標榜した愛の道


 統一家の家庭に責任をもった師の家庭が行く道は、どれほど複雑かというのです。世界史的に複雑なのです。ですから、お母様も寂しいことがたくさんあったでしょう。今でもそうです。十二時が過ぎてから上がっていけば、英語の学習をしなければならないのです。二時、三時、ある時は机で四時、五時になってから下りてきます。ですから、寂しいこともたくさんあったでしょう。


 お母様を見れば、お母様は、平面的な一人の女性ではありません。歴史時代において、おばあさんからつづってきたあらゆる悲運の歴史の中で、前後左右をすべて整え、善の方向を代表することができ、夫のためにただ一つの正道、ただ一つの理想的道を求めていくことができる愛の相対基準に立ち、原則的な軌道に立脚して主体の前に永遠の対象的な価値をもって、その価値を永遠に主張するのに後腐れのない母の立場に立たなければならないと思うのです。そのような女性を標榜し、共に進んでいくのです。


 今まで、お母様に教育してきたことは、昔離婚した人があなたを憎むようにしてはいけないということです。お母様を憎んではいけないというのです。それが、今、お母様の十字架だというのです。その口でお母様を褒めたたえることができる立場に行かなければならないというのです。憎んではいけないのです。憎むようになれば、それが支障になるのです。


 「私は千年、万年このような立場にいても、そのお方だけは、億万年福を受けなければならないお方です」。そのような言葉が出てきてこそ、地上に、女性の恨の切り株がなくなるのです。それゆえに、お母様が聖進の母親の住む家も買ってあげ、今、生活費も送ってあげているのです。お母様がそれを斡旋しているのです。私は知らなかったのですが、今までしてきているのです。いつかその人が訪ねてきて、「本当に許されないこの悪女を処理してください」と言う時、それを許してあげ、贈り物をもたせて帰してあげなければならないのです。そのようになった時に、自分の愛する息子に見送りさせてさしあげる道が残っているというのです。


 今は基盤を築いたので、先日、お母様をお連れして聖進の母親の家に一度行きました。それは、お母様には失礼でしょう。いったい、どこにそのような男性がいますか。前の妻についての話を聞いただけでも気分が悪いはずなのに、どこに暮らしているのか、それをすべて調べて、連れていくというのです。いったい、そのようなことがあり得ますか。しかしお母様は立派なのです。それゆえに、天の立場から見るとき、どれほど無念で悔しくても、お母様に対して口を開いて反対することのできない条件が立つのです。そのように深刻なことです。


 「お母様、私と行く所があります」と言うと、「どこですか」と言うのです。それは言わざるを得ません。「聖進の母がいる家に行かなければなりません! そこに行って祈祷しなければなりません。そのようにしなければ、すべての二世の行く道がふさがってしまいます」と言ったのです。お母様は立派な方です。有り難く思うのです。「そうですか。行かなければならないでしょう!」と言って、ためらうことなく先頭に立っていくのを見ながら、私が涙を流したことをお母様は知りません。家は入りませんでしたが、家をすべてよく見てきました。

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