平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◆◆「平和の主人」導入部分 ⑤ 亨進様を中心とする新しい摂理の幕開け   モーセ路程の「(3) 第三次民族的カナン復帰路程」とならなければならない。

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もしかしたら「双合十勝日」は、モーセ路程の幕屋の摂理かも知れません。

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 「双合十勝日」の摂理的意義として、モーセ時代の幕屋の摂理と深い関わりがあるのではないかと思っています。

 イスラエル民族がモーセと一体化することは、一日だけではなく、カナンに入るまでの、長い期間、一体化し続けなければならなかったように、お父様とお母様、更に、私たちも、後天時代を迎えるまでの間、最後まで、お父様と完全に一体化する必要がありました。


 しかし、お父様は神様と同じ立場に立たれて、不信仰続く私たちを棄てることができずに、モーセ路程とイエス路程と同じような立場に立たれたのではないかと思います。


 『天聖経』の改竄、『原理本体論』の迷宮入りはモーセの契約の箱に対する不信となって、モーセの「第二次民族的カナン復帰路程」における幕屋の摂理と同じように失敗になったのではないかと思います。


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お父様は生きて基元節を迎えることを断念さざるを得なくなってしまったと思われます。

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 そして、イエス様が「(二)第二次世界的カナン復帰路程」において、サタンが不信に陥った祭司たちと律法学者たちを中心とするユダヤ民族、特に、イエスを売った弟子、イスカリオテのユダを通して、再びイエスの前に現れて殺害したように、お父様も生きて基元節を迎えることを断念さざるを得なくなってしまったと思われます。


 今後、このテーマはお父様を中心とする重大テーマでありますので、後日取りあげて考察を重ねていきたいと思います。「双合55年プログラム」がサポート役となって、モーセ路程とイエス路程とお父様の路程を重ねることにより、ようやく摂理の外観が見えてきたと言えるのかも知れません。


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亨進様を中心とする新しい摂理の幕開け

  モーセ路程の「(3) 第三次民族的カナン復帰路程」とならなければならない。

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亨進様がヨシュアの立場に立つ

原理講論

 『石板と幕屋と契約の箱は、他のすべてのイスラエル民族が不信に陥ったときにも、四十日の断食の祈りをもって立てた、幕屋のための「信仰基台」の上で、それを固く守ってきたモーセ一人の信仰によって、第三次民族的カナン復帰路程にまで継承されてきた。


その後、このモーセまでが、不信の立場に陥ってしまったのであるが、神に対する彼の心情は変わらなかったし、また、ヨシュアが、彼の偵察四十日をもって立てた「幕屋のための基台」の上で、不変の信仰をもって、石板と幕屋と契約の箱を信奉していたので、レピデムで立てられた磐石の水の基台も、ヨシュアを中心としてそのまま残っていたのである。



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幕屋の為の基台の条件としての「契約の箱」が『天聖経』だったのではないか??

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 モーセの時代を表示路程として歩まれるお父様も、幕屋の為の摂理を迎えざるを得なくなったと思われます。その契約の箱となるものが、「双合十勝日」よりも早い4月18日に『天聖経』を天の聖書として奉納されました。(下記のみ言(※2)にあり余す。)



 以下に、《 第一回「安侍日」(双合十勝日) 2004年5月5日 》から抜粋しました。これを読んでも、何となく分かった感じがするのですが、具体的に私たちの生活にどう関わるのかが伝わってこないのではないかと思います。


『・・・・・それで、(※1)一から十まで、すべて天の数として帰一できる立場になったので、双合十勝数なのです。その意味を知らなければなりません。そのような日を立てたのです。ですから、日の光を望むすべての万物は、神様の所有圏に回復されます。』

(※1)今後、お父様の生涯路程に侍りながら生活する者は、何処からでも天の数として帰一できる時代に入った。信仰が古いとか新しいとか関係なく、人間が神様の直接主管圏に入る時代を迎えているので、万物も神様の所有圏に回復すると言うことです。



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 『(※2)「天聖経」を四月十八日に天の聖書として捧げました。ついに天地の聖書として、指標と標準を定め、方向を設定したのです。出発と目的が一致する道を行くことができるようにし、復帰の理想圏の目的地と、生活圏まで教えたものが『天聖経』の内容です。ここからずれてはいけません。


(※2)ここでの「天聖経」は、「双合十勝日」よりも17日前に天の聖書として奉納されました。

その後、「原理本体論」が2008年9月1日に最重要教育課題として始まり、「八大教本」が2010年天暦5月27日に制定宣布されました。

 この「八大教本」が下記の「平和の主人」に語られた契約の箱にあたるものです。


八大教本とは、

『文鮮明先生み言選集』、『原理講論』、『天聖経』、『家庭盟誓』、『平和神經』、『天国を開く門 真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』、以上の八種類の書籍です。




「平和の主人」(8-2)


『そのような一つの家庭的基準、父や母が誤ることによってその国の興亡が決まり得る対策をモーセに与えました。三十一カ国の王たちは、契約の箱が過ぎゆく時に、契約の箱の前に行って礼を尽くして何度も頭を下げて謝罪し、千回万回敬拝をしなければならないのです。


そうし得る姿にならなければ通じません。自分の欲と野望があって屈服しない群れは根本から取り除かれてしまうのです。ですから一人が屈服しないとなれば、その一門、その国をなくしてしまうのです。





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『・・・・・手の指は十でしょう? 十勝数、天地をぎゅっと握って、ひっくり返すのです。そのような勝利の日として記念するのが、きょうの「双合十勝日」なのです。「安侍日」を策定した日から、すべてのものが転換されるようになるのです。そのような意味で、すべてを知らなければなりません。説明をしなければならないのです。ですから、尊い揮毫です。歴史的な記念を表示する揮毫なので、皆さんの心に刻み、(※3)「十勝日」の上に立つ皆さんにならなければなりません。』

(※3)「十勝日」の上に立つ・・・とは、お父様の先天時代の勝利によって、お父様に侍る者は誰でも、後天時代に入る覇権的条件を勝ち取ることができますので、お父様から離れないで、お父様に侍る生活をしなさいと言うことです。




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 『・・・・・「双合十勝日」は、縦的な面においては、五月五日が、五数と五数が一つになって「十勝日」です。その次に、横的な面では、四月までの「先天時代」と五月からの「後天時代」の二つが合わさって転換されるのです。(※4)それで、「双合十勝日」なのです。』

(※4)先天時代にある私たちは、後天時代の勝利基準を勝ち取られたお父様の表示路程に合わせるようにして歩めば、誰もが後天時代に転換されるようになると言うことです。お父様の表示路程とは1920年~1975年までの前半の55年のことであり、私たちが歩む後半の55年は前半の表示路程の55年にそのまま重ねて反復する路程となります。


これは、お父様は私たちに表示路程を遺されたことになりますので、私たちはお父様の前半の55年の摂理とみ言を理解して自分の路程に重ねてサタンを屈伏させる路程を歩むようになります。



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『・・・・・「十勝日」は、五月五日です。そして、四月と五月を左手と右手でつかんで神様を中心として一つにし、「先天時代」を終わらせてしまうことによって、(※5)「後天時代」勝利の覇権的愛の主権世界を迎えるのです。ですから、万国平和の解放的神様が主人となる世界に帰るというのです! アーメン!』

(※5)「双合十勝日」以降、覇権的愛という表現をしっかり理解する必要があります。これからの時代はお父様を中心として歩む者は、覇権的愛を持つことが出いる時代になったということです。お父様による強力な役事の力が降りてくる時代になっていると言うことです。




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 それで「十勝日」が重要なのです。「十勝日」は、縦的には五月五日であり、横的には、(※6)四月と五月を神様が左手と右手で握り、上下に、前後に逆さまに回っていたものを、下を上にして反対に回すことにより、本然の世界に戻ってきて安着侍義ができる時代になるのです。ですから、「安侍日」を定めて記念するのです! アーメン!


(※6)お父様を中心とする者は、サタン側であった左手までも右手と共に握ってくださって、蕩減原則に沿って反対に回してくださるようになり、神様中心に安着できると言うことです。

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