平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◆◆「平和の主人」導入解読④ 「双合55年プログラム」は『"Simple" is "best".』でなければなりません。原理的であり、愛に溢れていることであり、最もお父様を慕うに良いプログラムでなければなりません。

 神様は私たちが神様の懐に戻る為に、サタンに打ち勝つ方法を教えてこられました。それが、モーセとイエス様が残された表示路程だったのです。


 当然、お父様ご自身もこの表示路程に沿ってサタンを屈伏させる為の路程を歩かれたことになります。


 お父様は全生涯をサタンから完全否定される道を歩み続けられました。騙され続けても、利用されて続けても、サタンの実体人間とは友人のように、我が子のように振る舞われました。この様な観点からみれば、お父様ほど子女様の心情を蹂躙されたお方はおられなかったと思います。その深い傷が子女様を悩ませ、苦しませているのですから、私たちはその心情を理解して、その心情を癒して差しあげる立場にあることは言うまでもありません。


 イエス様は十字架という、サタンとの闘いの痕跡を残されました。

 しかし、お父様がイエス様と全く違う点は、お父様は聖和されるまで、サタンと闘っかた痕跡を微塵にも残さなかったことです。私たちの目には、サタンが何処にいたのかが分からなかったことは、反対に、お父様の愛が真の愛であったという証なのです。


 お母様が奪われても、子女様が奪われても、生まれる苦しみ悲しみの痕跡を誰にも気づかれないように振る舞われて、更に進んでサタンを愛したのです。

 その為に、お父様の心情を誰も理解できなくなって、教会の内からも外からも嵐のように誹謗中傷を受け、優秀な信徒ほどお父様から遠ざかりました。これに対してもお父様は、一言の弁明もされず、ご自身の胸の中にしまい込んでしまわれました。


 サタンを屈服させる路程は、凡人の私たちにはとても理解困難です。


 この様なお父様の全生涯は真の愛の痕跡を八定式の基準として遺され、更には、2004年5月5日の「双合十勝日」までの路程を表示灯として遺されていました。それが、「平和の主人」の導入部分です。わずかばかりのみ言の中に圧縮されて隠されていました。これを解凍して解読しなければなりません。


 「平和の主人」の解凍解読は、まだまだ始まったばかりです。しかし、冒頭の導入部分だけでも、仮説ではありますが「双合55年プログラム」から、まさに、お父様の1975年までの半生が表示路程であったということが浮かび上がってきているのです。


私自身の未熟さもあって、まだまだ、半解凍だと思います。


 この検証は始まったばかりですので、関心のある方は自らも取り組んで頂きたいのです。前半の55年が要因となって後半の55年に対して表示路程となっていることの信憑を明らかにしなければなりません。



 これまでのブログの記事の、《 ③-1 》《 ③-2 》《 ③-3 》は、「双合55年プログラム」の仮説の正しさを検証する為に、ほんの一部ですが、例として取りあげたものです。


 これを参考にして、皆さんが感心あるところを切り口にして、検証してみてください。検証を行うことによって、神様の摂理とお父様のご心情が一層明確になることが必須条件です。

 更には、お父様が聖和された以降、信徒たちの大混乱時代を迎えていますが、このプログラムがお父様を表示路程として私たちの歩む道しるべとなって、皆様をお父様と連結する為の最良のプログラムになるとするなら、これはお父様が遺されたプログラムであると確信します。


 そして、この表示路程は『"Simple" is "best".』でなければなりません。原理的であり、愛に溢れていることであり、最もお父様を慕うに良いプログラムでなければなりません。


「777」は「平和の主人」を解読するにあたって、最初の一ページの導入部分から暗礁に乗り上げて取り組んできました。そこからようやく見えてきたのが、「双合55年プログラム」という、一つの仮説です。


 最後に、この仮説を支えている原理講論のみ言を紹介して本日のブログを終えます。



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天は表示路程、典型路程を必ず示される。

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 次の原理講論の二つのみ言はお父様にもあてはまり、私たちにもあてはまるものなのです。

《 第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理 》


 『アモス書三章7節に、「主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされないと記録されているみ言のように、聖書には、神の救いの摂理に関する数多くの秘密が隠されているのである。


しかし、人間は神の摂理に対する原理を知らなかったので、聖書を見ても、その隠れた意味を悟ることができなかった。聖書においては、一人の預言者の生涯に関する記録を取ってみても、その内実は、単純にその人の歴史というだけにとどまるものではなく、その預言者の生涯を通して、堕落人間が歩まなければならない道を表示してくださっているのである。


ここでは特に、神が、ヤコブとモーセを立てて復帰摂理路程を歩ませ、それをもって、将来、イエスが来られて、人類救済のために歩まねばならない摂理を、どのようなかたちで表示してくださったかということについて調べてみることにする。



《 (一)イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由(抜粋) 》


 神は、このように、ヤコブを立てられ、サタンを屈伏させる『表示路程』を見せてくださったので、モーセはこの路程を見本として、その形象路程を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのである。


 そしてまた、イエスは、ヤコブ路程を歩いたモーセ路程を見本として、その実体路程を歩むことにより、サタンを屈伏させることができたのであり、今日の信徒たちもまた、その路程に従って歩み、サタンを屈伏させることによって、それを主管するようになるのである。


 上記の「サタンを屈伏させる為の表示路程」こそ、お父様が私たちに伝えたかった「双合の理念」の核心になっているのではないかと思われます。そして、このプログラムは、私達が55年前のお父様にタイムスリップして、お父様の心情圏と一つとなって反復して歩まなければならない道であると言えます。

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