平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

★★★《 真の御父母様の生涯路程 3 》聖進様の母親の激しい反対

今後「平和の主人」の導入部分の解読に重要なみ言になりますので、一足先にアップしておきます。



《 真の御父母様の生涯路程 3 》

第四節 青坡洞本部教会を中心とした内的基盤

二 家庭的試練と苦難


聖進様の母親の激しい反対


 聖進の母親は烈女です。ただ一つ犯した罪が何かと言えば、「あなたは私の夫であって、統一教会よりも私の夫の役割をすべきでしょう。統一教会の先生であるよりも、夫であることが先だ」としたことです。それが間違ったというのです。


 私にこのように言ったことがあります。「あなたは何がそんなに物足りないことがあるのですか。お金が必要ならば私が稼いでさしあげましょう。絹織りのパジチョゴリを作って着せ、花模様の座布団に座って本を読もうが、何をしようが、みな整えます。私がどんな仕事をしてでも、すべて責任をもちますから、どうか夫の役割をなしてください。どうしてそうなのですか」と言うのです。そして、「私の言うことだけ聞いてください。私の言うことだけ聞けば、千倍、万倍、楽にしてさしあげ、一言も悪口を言われないようにお世話してさしあげるのに、なぜそうするのですか」と言うのです。


 それで、あちらこちらで反対して、自分のやりたいように全部したのです。先生に「この道を行くな」と言いながら、指にかみついたり、つねったり、ひっかいたり、それでも駄目なのでゴム靴の裏でほっぺたをひっぱたいたり、女性からひどい虐待を受けました。


 そして統一教会の幹部らも、聖進の母親から、ありとあらゆる受難を受けました。ほっぺたをひっぱたかれ、けられたり、糞尿をかけられたり、もろもろのことがあったのです。幹部たちがむち打たれ、あらゆることをされたのです。糞を持ってきてまいたり、ありとあらゆることをしたのです。それこそまさにサタンの役事をしたのです。このような意味で先生は女の人から世界で一番極悪な試練を受けた男であるということを、皆さんは知らなければなりません。皆さん、ソクラテスの妻が悪妻だったという話がありますが、そんなものではなかったのです。


 この世のあらゆる所業を受けながらも甘受したのです。そういうこともあり得るというのです。「その恨は世界に及ぶだろう。天上に及ぶだろう」と考えながら、その恨をみな解くことができるように、私が甘受してあげたのです。自分がすることに先生が悔しがって、足の裏でもたたいてくれたらいいのに、先生はそうはしないのです。そのように聖進の母親は先生を愛しながらも何というべきか、悪妻になって、攻撃したのですが、それに対して先生は、悪くは考えませんでした。「私が夫としての平面的な責任を果たすことができなかったので、それを甘受しなければならないだろう」と思ったのです。しかし、縦的な面では私が責任を果たせなかったことは一つもありません。


 霊的であろうが、この世的であろうが、条件に引っ掛からずにこの道を行くために、最後まで耐えてきたのです。条件に引っ掛かることがなく、良心の呵責を感じることが、これっぽっちもないのです。



天の最終裁可のもとに離婚(一九五七・一・八、協議離婚申告)


 離婚は、私が願ったものではありません。向こうのほうから母親、父親、兄の三人が来て、家にあった物をどれほど奪い取っていったことでしょうか。三回にわたってやって来て、みんな持っていき、売り払ってしまったのです。公的な国のものであるのにもかかわらず、私的に使ってしまったのです。それも一度ならず、二度、三度もしたのです。それは天法に引っ掛かるのです。いくら妻子であってもその法に従わなければならず、その法度により、判断を受けなければならないのです。


 先生は時間さえあれば、その母親と兄さんを呼んで、「あなた方があとで後悔するはずだから、どうかそうしないで、三年間だけ待ってくれ」と頼んだのですが、毎日のように訪ねてきて「離婚してくれ」と言ったのです。「なぜ離婚してくれないのか」と言うのです。教会も売り払ってありとあらゆることをしたのです。まさにそれこそサタンです。先生はもろもろの屈辱を受けました。


 私は大声一つ出すこともなく、ずっと辱められてきました。こうして期間が満ちてしまったのです。こうしていては、天のみ旨であろうが何であろうが、すべて駄目になってしまうのです。天が知り、サタンも知り、すべてが知っているのです。夫に対してだけでなく、食口たちに対しても、そのようなことをするので、天はこれ以上ほっておくことができず、「彼らの願うようにしてやりなさい」と、命令するようになったのです。そうして離婚するようになったのです。


 一つの国を生かし、世界を生かすべきであって、妻を生かすことが問題ではないでしょう。それで、天が「切れ!」と言って、天命によって切ったのです。誰が天命に反対しますか。国のためには統一教会の信徒が犠牲にならなければなりません。教会を生かすためには、家庭を犠牲にしなければなりません。同じことです。家庭を生かすためには、私個人が犠牲にならなければなりません。私個人が一〇〇パーセント犠牲にならなければならないのです。その原則が、一人の個人として見ても、天上世界の神様の立場から見ても、歴史的な聖人賢哲の立場から見ても、また良心的にあらゆる面から見ても、限界線を越えに越えていたのです。そのままほっておけば国が滅び、民族が滅びるために、決断し処理しなければならないのです。


 皆さんの中で、「先生も離婚したから私たちも離婚してよい」と考える人がいますか。それは事情が違うのです。それは、先生が蕩減路程を立てていく過程だったのです。原則を立てるための過程だったというのです。そうした内容があったために、世界中で「統一教会が何だかんだ、先生が何だかんだ」と言うのです。そういう非難の対象になるのは、一人の女性の間違いによって、世界史的な問題が残ったためです。そのように恐ろしいことなのです。けれども仕方がないのです。行ってしまったので、仕方がありません。天であってもどうすることもできないのです。天が願ってはいないのに、その願っていない行動をして出ていくのをどうするのかというのです。したがって聖進のお母さんは、堕落したエバの立場に立ったというのです。



家庭分離を助長した背後


 先生と聖進の母親との家庭が破綻したのは、既成教会のゆえでした。韓硬直牧師を中心とする瓔珞教会ゆえにそうなったのです。離婚させるために、聖進の母親のいとこを引き入れたのです・邪悪なサタン、悪魔の教祖と言って、無条件に反対して、よくやったと言っています。


 聖進のお母さんが悪いのではありません。瓔珞教会全体が主導となって、「異端はつぶすべきだ」と、「平安北道の恥だ」と言って、裁いたのです。瓔珞教会の韓硬直牧師が、五山工業高校を出たと言いましたか。


 この前、聖進の母方のおじが水原教会の金明大教区長を訪ねてきて、歴史時代のことを話したということを聞きました。彼は聖進の母親の兄で、先生の義理の兄になる人です。昔は、やたらに反対していたその人が言うには、「自分の一族が、自分の母親を中心として家族会議を開き、全体が一つになって、文先生とは信仰が異なるので、家庭を破綻させ、離婚をさせるために煽動的なことをした」ということを、ありのままに話したというのです。彼が、そのような話を詳しく話したというのです。私は今まですべてをかぶってきました。「文先生は美人の奥さんをもらうために妻を追い出した」という、あらゆるうわさを聞いたのです。それでも、「そうかそうか、天のみ知り、私のみが知っている事実だ。当事者だけが知っている事実だ」と、そのようにしました。


 結局、母親が悪かったのです。再建教会に通っている母親が全部指導して、そのようにしたのです。結局は、反対した動機が、自分の運命を台無しにしてしました。今は哀れな立場に置かれているのです。



弁解せずに責任を負ってきた家庭問題


 皆さん、昔、聖進の母親が狂ったように反対したのです。ついてきていれば、どんなに良かったことでしょうか。そうしていれば、統一教会はこんなに苦労しなかったはずです。二つの道があるということが分からなかったのです。皆さん、道には間違いなく二つの道があるのです、レバレンド・ムーンが現れる時も、二つの道があったということを知らなければなりません。


 私が主張したいのは、結婚する時にもったその心、初めて結ばれた愛の心をもって行かなければならないということです。そのような初めての愛の心をもって神様の前に行かなければならないのです。ところが「自分の夫としてのみいてくれ」と言うのです。「社会も何も、国もみんな嫌だ」と言うのです。


 エデンにおいて、一人の女性によって天地が滅ぼされたのですが、今日の復帰時代においても、一人の女性によって、歴史上に統一教会の悲惨な歴史を残したことを、私は悲嘆したのです。その代わり、私が非難を受けたとしても、私が責任を負おうと、一言も弁解しませんでした。


 私は今まで、「滅びてしまえ」とは思いませんでした。その人に対して「できればあなたを一度訪ねていきます」と言ったのです。彼女が死ぬ時は、天下にない福を祈って行かなければならないのです。


 聖進の母親がそうだったではないですか。男の中で、聖進の父親のような男はいないというのです。だから嫁に行こうとしても、良心が許さないので結婚できないというのです。


 六五年だったか、やって来て「どうか台所にでも入って、仕事ができるようにさせてくださいませんか」と言ったのですが、もうすべてが過ぎたというのです。


 また、いつだったか、一度私はその女性と道端で会いました。どれほど哀れだったことでしょうか。それを見れば、愛しているようなのです。それはどんなに哀れなことでしょうか。そのことが忘れられません。


 聖進の母親が反対しなかったならば、絶対的に夫のみを信じていたならば、知らない内にみ旨は全部成し遂げられていくのです。統一教会がなぜ、全世界的に反対を受けたのですか。監獄になぜ、行かなければならなかったのですか。聖進の母親が反対することによって、準備していたすべての団体が犠牲を被ったのです。腹中教もそうなり、既成教会もみんなそうなってしまったのです。ゆえに、民主世界がすべて引っ掛かって行ったのです。


 私がそれを考えれば、それを一対一で考えて、復讐心をもつならば、雷を落としてしまわなけれぱならないでしょう。しかしながら、地獄まで復帰しなければならないというみ旨があるために、この前、聖進の母親が住む家の前までお母様を連れていったのです。この世的に考えれば、そこはお母様がついていくところではないのです。背を向けるべきところなのです。そして家を買ってあげるにも、全部お母様が買ってあげるようにしたのです。今までも生活費をまかなってあげたでしょう。別れた中でも今まで夫の役割をしてきたというのです。復帰はそのように難しいのです。


 それはすべて、蕩減条件に引っ掛からないためです。私だけではありません。お母様もそのようにしなければならないのです。女性の中の女性、「ため」に生きる女性の姿を残さなければならないのです。そのような意味で、お母様は立派なのです‐。何の不平不満もなく「ええ、そうされなけれぱならないでしょう」と言うのです。そのようにして、それを越えたお母様が立派なのです。


 私はいつか、その一家を全部招待して宴をしてあげようとも思うのです。怨讐を残してはならないのです。


 み旨をすべて成した時には、「あの時は残念だった」と言って、私が立派な料理店で会い、一度、宴をしてあげるかもしれません。そう、いつか一度会って、すべて慰労してあげなくてはならないのです。



崔氏を前面に立てて蕩減する摂理


 崔氏一族がそうしたために、崔氏を中心とした役事をするのです。


 因果の法度というものは本当に恐ろしいものです。今でも反対していて、その余波によって世界的な問題が起こったのです。しかしその家門を滅ぼしてはいけません。怨讐、カイン的な立場に回ってしまったのですが、引き受けてあげなければならないのです。彼らを解放してあげるべき責任を果たしてこそ、大韓民国救援の道を行くことができるのです。救援摂理はそのように複雑なものなのです。


 日本を開拓したのは崔奉春なのです。崔氏をまず前面に立てたのです。また、米国で宣教師らが争うのを収拾しなさいといって、送った人も崔奉春だったのです。先頭に立たせたのです。また、崔元福がいます(笑い)。名前が元福です。原理的になっているのです。「先吉」(聖進様の母親)が失敗したから、「元福」が収拾するというのです。「元」という字は元首、根元の「元」で、「福」は幸福の「福」です。ですから女性の代表として、しっかりとしなければいけないのです。


 復興会をするときも、劉協会長を立たせずに、ヤマガラのような崔チャンニムを全面に立たせたのです(笑い)。これを許さないで切ってしまえば、自由世界を収拾する道がありません。国と民族の生きる道がありません、だから崔チャンニムがうまくやるから立てたのではありません。国家の運命がかかる、生死の岐路まで、境界線まで、崔氏を前面に立てていってこそ、韓国が生きる道があるのであり、他には道がないと考えるのです。それが原理です。好きで前面に立てるのではないのです。



聖進様の犠牲


 聖進を生んでから、私は聖進の手を握ったり、抱いたりして愛してあげることができなかったのです。


 聖進の母親がみ旨を信奉することができなかったことにより、聖進に対して私の息子だと言うことができませんでした。息子扱いができなかったのです。


 ところが聖進が立派なのは、七歳の時、あんなにも自分を愛する母親であるのにもかかわらず、その母親と一緒にいるのではなく、母親を捨てて父親を訪ねてきたのです。これは普通の子供ではないというのです。それは自分の考えではないのです。母親が父親に反対するのを知っているのです。ですから我々が奨忠洞教会にいた時、正に母親が反対しに来るというときには、明け方早く連絡してくれるのです。


 けれども、父親として一度もまともに接してあげられませんでした。つれなくしたのです。自分の息子を愛する前に、カインをまず愛さなければならないからです。神様は、探し立てた第二イスラエルをまず愛したのちに、息子、娘を愛するためにイエス様を送られたのです。それが復帰摂理です。摂理は、原則どおりになされるのです。


 お母様を迎えた六〇年までは、私は聖進の手も握ってあげず、キスもしてあげませんでした。そして父親がいる所では住めないようにしたのです。それで外で寺を訪ねたり、食口たちの所をあちこちと巡ったりしたのです。なぜそうしなければならないのかというのです。天道を立てるべき責任を負った家庭となるためには、世界の基盤まで築かなければなりません。当たり前の道理を準備しなければならないのです。そのような曲折の道を歩みながら、激しい迫害を受けて生きてきました。



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