(50歳の峠)亨進様について語られた 五十の峠を越えてこそ、自分の服を着て軍人のようにクリーンカットの青年として堂々と進み出るでしょう。 2010年陽暦9月3日
天地人真の父母定着実体み言宣布の意味を語れる時に・・・
亨進様について語られた 2010年陽暦9月3日、天正宮博物館
今も亨進は父母をしっかりつかんでいます。手をつかむなと言っても、手をぎゅっと握り、「どうか、お父様、私が手を握ったら、放せと言わないでください。私はこの手を放すと死んでしまいます」と言うのですが、そのとおりです。私が手をしっかりつかんでやるのです。「私につかまって行け!」というのです。
五十の峠を越えなければなりません。その様に謙遜です。どこに行っても自分を立てるということがありません。
私はどこかに行って主人のように振る舞おうという考えをしたことがありませんが、正にそれとそっくりです。五十の峠を越えてこそ、自分の服を着て軍人のようにクリーンカットの青年として堂々と進み出るでしょう。それ以前には私はそんなことはできないと言っています。亨進も父の伝統を受け継いで、その道を行かなければならないというのです。
これからは私が国の下に敷かれて越えていく時代は過ぎ去りました。向きを変えたので、半分になるときに、これは離れるのです。これの半分になるまで走ってきましたが、ここになるときはどうですか。中央を越えたら、「おまえはお、おまえの道を行かなければならない」というのです。私は私の道に従ってどこかに行かなければなりません。一、二、三、……十二人がこのように大きくなっていくのです。従っていくことはできません。従っていくことができないことが分かるので、離れていくのです。
そういうことをラスベガスでしているのですが、もう二十八回、二十九回目になります。三十回目を中心にして越えていく期間として、二十九・九九九です。イエス様は三十歳に行く道をつかもうとして失ってしまいましたが、その道をつかんでおくことによって天地が即座にでき上がるのです。一秒を中心に立て直すというのです。