平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

★☆★ 信徒たちよ、全ての希望が絶たれる前に目を覚ましなさい!!! ・・・平和の主人→『12息子(=子女様)が父(=神様、お父様)を売り飛ばして否定しました。殺したでしょう?』

ーーーーー
八大教本の「平和の主人、血統の主人」
ーーーーー
8-4)にある、
・・・・・サーティーン(thirteen)、13数(=「12数=子女様」が「1数=ハナ=神様」)を見つけることができなかったので、12息子(=子女様)が父(=神様、お父様)を売り飛ばして否定しました。殺したでしょう?


お父様の「殺したでしょう?」という叫び、訴え・・・、無知なる私達に語りかけているこの言葉は、一体何を意味しているのでしょうか???


この意味を摂理的観点から解こうとしているブログは現時点では存在しません。見落としているかも知れませんが、あるとするならコメントでお知らせください。お願いします。


ーーーーーー
「殺したでしょう?」という理由を原理的観点から解き明かさなければならない
ーーーーーー
お父様が「殺したでしょう?」と語られた「殺す」という言葉は、肉体を殺すという意味ではなく、霊的な「殺人」を言っています。
原理講論「復活論」208項「(一)死と生に対する聖書的概念」の「死」には二つの概念があります。
一つは、「肉体の死」であり、もう一つは、「神の愛の懐を離れて、サタンの主管圏内に落ちこんだことを意味する死」、即ち、「霊的な死」のことです。


この「殺したでしょう?」とは、お父様に対して絶対信仰、絶対服従の基準をもってお父様をお支えしなければならなかったにもかかわらず、サタンの主管圏内に落ちてその基準を示すことができなくなり、それが理由で、聖和に直結することになったことを知っておられた為に語られた言葉だったのです。
お父様の聖和は神様がお父様をこの地上に送られた意義と価値に対して、対照的な意義と価値を持っていますから、この聖和についてお父様が「殺したでしょう?」という言葉を永遠に残る八大教本の中に語られたのです。


お父様を第三アダムとしてメシヤとして信奉する統一教会であり、子女様であり、私達であるとするなら、誰であろうと、この言葉を解明もしないでお父様の「聖和」を放置することは絶対あってはなりません。


ーーーーーー
この聖和を原理的に解明することは誰ができるのか??
ーーーーーー
イエス様を十字架で殺した当時の人間たちが、自分の問題でイエス様を殺したという原理的総括はできるわけもありません。だから、イエス様の十字架の死は神様の予定として二千年間、神様の悲しみに蓋をして来たのです。


同じように、お父様を聖和させた原因となったお母様、子女様、私達にお父様の聖和の理由を原理的に総括ができるはずもなく、誰も彼も、「全て完了、完結、完成した」と祈られた最後の祈りの言葉尻につかまって自己正当化し、日頃はお父様の名を語りながらも、内心ではお父様の悲しみにも、神様の悲しみにも蓋をしてしまったのです。


イエス様の十字架の死の理由が、神の予定ではなく、人間の責任分担が全うされなかったことにあったことのように、お父様がイエス様の十字架の死を自らの責任として受け入れることによって初めて解き明かすことができました。
同じように、お父様の聖和の理由を探し求めて辿り着くことができるのは、お父様の聖和に対して、外に責任を求めるのではなく、自らの問題であるとして向き合った者にしかできません。


ーーーーーー
私達一人一人が、お父様の「聖和」の意義と価値を原理的に解明されなければなりません。
ーーーーーー
私達は永遠の命に至る為にも、お父様が来臨された目的と、聖和された理由について明確に知らなければなりません。


その為にはお父様が永遠に残る、霊界でも読まれると言われた八大教本の「平和の主人、血統の主人」に、「・・・12息子(=子女様)が父(=神様、お父様)を売り飛ばして否定しました。殺したでしょう?」と語られた理由も解く鍵の一つとして解かなければなりません。

×

非ログインユーザーとして返信する