◆◇◆「nekodosi id:nekoyorimasi 」さんのコメントにお答えします。
以下は、から、新記事に対する「nekodosi id:nekoyorimasi 」さんのコメントと、それに対する答えを記事にしました。
《 》は「nekodosi id:nekoyorimasi 」さんのコメントです。
→ 青文字が私の答えです。
《777さんのご指摘は、余りにも極端ではないでしょうか? 》
→ 確かに質問①②③は「真実の向こう側」さんに尋ねるべき事ではありません。
ただ、もしかして「真実の向こう側」さんがいろいろご存知かも知れないと思いまして、あえて、質問しました。
「真実の向こう側」さんからは、どうして自分に聞くのかとお叱りを覚悟しての質問です。
太鼓は打たなければ音が出ませんからね。少しは、申し訳ないと思っています。
《先ず、お父様がボケておられた可能性について、
私は、個人的にはお父様はボケてはおられなかったと思っています。
どちらかというと777さんの
「お父様は晩年ボケた振りをされていた」
というのが正しいのではないか、と思います。》
→ 「お父様は晩年ボケた振りをされていた」、これは鋭い解釈です。
私もそう思うところがあります。後天時代の思考はひたすら相手が望むことを二倍・三倍にして実現してあげようとします。特にお父様の聖和は秒読み段階に2009年以降から入りましたから、お父様は嫌味なく、普通に、聖和に向かう為に、その様に表現されたと想像出来ます。
一般人が聞いたら、馬鹿馬鹿しいと言うでしょう。
《でも、mebiusuさんとのやり取りを見ていて、
「メシアは決してボケてはならない、ボケてしまっては御言葉の価値がなくなってしまう」という見解は余りにも極端だと感じました。 》
→ 真実を引き出す為に、私はあえて「お父様はボケていない」立場をとっています。「絶対メシヤ」と言う表現も真実を引き出す為です。
その上に立って、み言葉の研究を徹底的にする必要があると思います。
何故なら、その立場に立って研究しないと、暗号で語られたり、隠された意図があったりした場合、どうしても意味不明になってしまって、簡単に「お父様はボケた」と結論を出してしまう危険性があるからです。
統一教会幹部達は、「平和の主人」「実体み言宣布大会」のみ言が理解できないために、「お父様はボケた」ことを、洗練された言葉で、恭しくお父様を祭り上げて表現しています。
「真実の向こう側」さんが8/22のブログで、「お父様がボケてしまっているところを見ています」の記事の件ですが、「平和の主人、血統の主人」と同様のことがあったのではないかと想像します。
「平和の主人、血統の主人」を2009/7/7に語られたお父様は、これ以降、「お父様はボケた」とまことしやかに囁かれるようになりました。
理由は、暗号ばかりで理解不能だったからです。平和の主人は八大教本であって、語られて6年にもなるのに、未だ誰も完全に解読出来ていません。
これが解読出来たら、現在の統一教会の問題点が、余すことなく語られていることに誰もが驚くことでしょう。
《もし、仮にボケていたとしたら、とんでもない立場に立ってしまう危険性があると思います。
事実はわからないわけですから、可能性としてある程度幅を持たせて考える必要があるのではないでしょうか?》
→ もし仮に、お父様がボケていたなら、八大教本自体に風穴が空くことになります。
お父様のみ言葉がロウが溶けるように、改竄したことも読みやすく改善したという統一教会幹部達の主張がまかり通ることになりますから、私としては現段階としては受け入れられません。
《それから、今回の記事で指摘されている内容に関してですが、mebiusuさんはなにも顯進様の考えを代弁されている訳でもなく、顯進様を指示している方たちの総意をまとめてブログを書いておられる訳でもありません。
こういうデリケートで複雑な問題に関しては、誰も何とも断言することができないのが事実ではないでしょうか?
個人が、個人的な考えをブログに書いたからと言って、それを顯進様や神山先生の考えだと決め付けるのは余りにも大人気ないのではないでしょうか? 》
→ 仰ることはよく理解しています。質問①②③は「真実の向こう側」さんに尋ねるべき事ではありません。ただ、どなたかが語られたことがあるのを聞いたという情報だけでもあるとするなら、お聞きしてみたいと思ってのことでした。
《私が見る限りでは、顯進様を支持している方たちの誰も、
「お父様はボケていたから、晩年の決裁には問題がある。だから、亨進様がお父様の継承者になるには問題がある」
とは言われていないと思います。
(これも断言はできませんが、少なくともそういう内容のものは見たことがありません)》
→ 私の質問が捨て石になって、これ以上「お父様はボケた」という論調が表面化しないように釘を打ちたかったというのが本音です。(生意気なようですみません)
「お父様はボケた」ことを論ずる前に、み言葉の徹底した研究が必要と思います。その上で、晩年のみ言葉に狂い、間違いが見出せたのなら、ボケた可能性を検証することだと思います。
《今まで、御言葉を元に謙虚に祈りながら分析してこられたであろう777さんが、突然豹変されたように見えて、とても残念です。
勿論、「ここは譲れない」という部分もあるとは思いますが、良い意味で意見交換し合い、より真実に近い内容を私たちに提供していただけたらと思います。》
→ 心配おかけして恐縮です。