◆◇◆「真実の向こう側」さんへ・・・「六マリア摂理」はキリスト教の失敗を蕩減するためにあった
「真実の向こう側」さんブログにお答えします。
タイトルが、
「真実の向こう側」さんへ・・・「六マリア摂理」はキリスト教の失敗を蕩減するためにあった
==== ↓↓ 「真実の向こう側」さんブログ引用 =
「六マリア」について、一言コメントします。
私も「六マリア」もいわゆる血わけの儀式も反対派が言われるような内容とは必ずしも一致するということは思いませんが、あったという立場ですが、
(※1)問題は、「御父様が、御父様の対場において、成されたこと」で、それは、再臨のメシアにとって必要なことであって、それ以上でもそれ以下でもないということです。
そのことに、堕落人間の復帰の秘密があろうとなかろうと、お父様が成されたことで終わりということです。
ーーーー ↓ ↓ もう一つ引用します。
貴殿、「真実の向こう側」8/17の記事から
(六マリア摂理は・・、)私の理解は、「真のアダムであるお父様が、人類救済のため、愛の問題を整理する為(御父様にしか解らないと思います。)の取り組み(摂理)であった」というもので、六マリア摂理があろうと無かろうと、御父様は、「真のアダム」として、勝利されていたと思います。
====↑↑ 引用おわり =
==== ↓↓ 「777」の答え =
(※1)問題は、「御父様が、御父様の対場において、成されたこと」で、それは、再臨のメシアにとって必要なことであって、それ以上でもそれ以下でもないということです。
現段階では、この文面は「777」とは違いますので、問題があると思います。「六マリア摂理」を語る前提となる条件が私と貴殿とでは違っています。
キリスト教の失敗によってお父様はメシヤの位置から洗礼ヨハネの位置まで降りて、サタン分立路程を歩まなければならなくなりました。従って、お父様のサタン分立路程の40年間と、1992年の「メシヤ宣言」以降のお父様の立場は全く違うと言うことを知っておかなければなりません。
立場が違いますから、概ね、語られるみ言葉もサタン分立のみ言葉からメシヤとしての重生のみ言葉へと変わっていくようになります。お父様を中心人物としての40年サタン分立時代は、洗礼ヨハネの立場に立たれた文先生を中心とした責任分担時代へと変わっていくことを理解しなければなりません。
現在の統一教会がこの様な観点を全体的に理解せず、常にメシヤであるとしていますから、摂理観が混沌としています。
お父様はメシヤであることを原理で学んでいるが為に、お父様がメシヤの位置から洗礼ヨハネの立場に降りてサタン分立しているという原理的位置を理解しないでいます。
幹部達は原理も部分的にしか理解しておらず、摂理も十分に理解していませんから、現在のような信仰スタイルで教会運営が呵責なくできるのです。
余談ですが、金孝律補佐官の語られた様々なメッセージを読んでも、独特の原理観というか、部分的な原理のみ言葉を持って摂理展開の人物(特に顕進様に対して)を批判していることが多くあります。彼は恨の多き人物です。
また、彼の語り方が非常に人情的というか、周囲の不満をかき集めて、「はい」と答えざるを得ないことを丹念に繰り返して、それを部分的な原理のみ言葉で包み込んでしまおうとするところがあります。
五段階で知的基準は4?、しかし、心情的基準は「2」位と思います。
お父様にとって金百文牧師は「A」のカードであるとするなら、郭先生はお父様の教育により「J」くらいで、金補佐官は「4~2」のカードくらいかも知れません。
下記の枠内のコメントは訂正が必要です。2017/7/17
話しを戻します。
私のスタンスは、キリスト教が失敗しなければ、「六マリア摂理」はお父様にとって必要ない摂理でったということです。レアとラケル、タマル、エリサベツとマリアと言ったサタン分立摂理は真のアダムを誕生させる摂理だったわけですが、その条件が叶ってイエス様の誕生になりました。
問題は、何故、「六マリア摂理」が必要となったのかです。これに関して、ザックリですが、私は、キリスト教の失敗の為に、過去の第一イスラエルの摂理、第二イスラエルの摂理までサタンが侵入してしまったというのが原理観です。そして、これを蕩減復帰する為に統一教会、祝福家庭が生まれ、「六マリア摂理」があったというのが私の考察です。
ですから、「六マリア摂理」はお父様がもう一度メシヤとしての足場を再構築する為に必要な摂理でもありました。そして、お父様は40年の蕩減期間を勝利されたことによって1992年に「メシヤ宣言」となって、実質的にメシヤとして出発されたことになります。
そして重要なことは、この六マリアと文先生が全て関係を持ったということが吹聴されていますが、私はそうは思いません。何故なら、メシヤと女性の関係は新郎と新婦の関係であるとあるように、初夜以前の兄と妹の関係を取り戻すことが摂理的な本意のはずだからです。
ですから、貴殿が言われる、
「御父様が、御父様の対場において、成されたこと」で、それは、再臨のメシアにとって必要なことであって、それ以上でもそれ以下でもないということです。」
、と言うことではないと私は考察しています。
お父様に対して洗礼ヨハネの立場に立った金百文牧師は混婬派にあり、第一夫人はその教会を通過していますが、第一夫人はその様な環境をサタン分立してお父様の元に帰らなければならなかったと思います。第一夫人が如何なる試練が襲おうともお父様と一体となっていればサタン分立ができて、第一夫人は長成期の完成級を超えることになったのだと思います。
しかし、キリスト教の失敗は摂理の黄金期を失いました。再臨主の再出発で再び到来した摂理の黄金期も、再び失うことになりました。
イエス様の十字架の道の近因は、エリサベツとマリアの仲違いにありました。真のアダムを誕生させる立場にあったマリアと、洗礼ヨハネを誕生される立場にあったエリサベツが仲違いすることは、イエスの十字架の一番の原因となったとお父様は語られています。
お父様も同様に、キリスト教の失敗によって旧訳と新約の摂理にサタンが侵入したのですから、お父様が再臨主としてもう一度出発する為には、エリサベツとマリアの失敗を蕩減することと、レアとラケルの蕩減も含めて、更には、タマルのような摂理までも蕩減する為に「六マリア摂理」があったと私は考察しています。
貴殿が言われるように、メシヤにとって必要な「六マリア摂理」としては見ていません。その様な立場を原理的観点から説明できないと思います。
即ち、メシヤとして出発されている立場であれば、「六マリア摂理」は必要なかったことと考察しています。
今後更に詳しく、原理基準に沿って解かれる時が来ることを待っています。
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「真実の向こう側」さんへの答えはまだ終わっていません。
次回は「六マリア摂理」の渦中にあって信仰混乱に陥った弟子達と子女様、お母様を考察します。
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