平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◇◆「真実の向こう側」さんへ・・・他を批判して、自己の正当性を語るは「信仰の模範」にあらず!!

「真実の向こう側」さんブログにお答えします。 


タイトルが、
「他を批判して、自己の正当性を語るは「信仰の模範」にあらず!!」


私達は自己の正当性を語ることではなく、神様の証人、お父様の証人のはずです。
このままでは、お父様のメシヤ性に疑いありとなるやも知れません。


==== ↓↓ 「真実の向こう側」さんブログ引用 =


御父様をスーパーマンと思われているようですが、御父様が、500kのものを持ち上げることも出来なければ、空を飛ぶことも出来ません。


ちょっと極に走りすぎているように思います。


・・・・・・


御父様が、御言葉を間違って語ることもあれば、誤解することもあれば、ボケることも当然、あると思います。病気もされます。かんしゃくも起します。

====↑↑ 引用おわり =




==== ↓↓ 「777」の答え =


絶対メシヤとは私があえて作った言葉です。何故、メシヤの前に「絶対」と付けたのか。


理由は多くのブログの論調に以下のような兆しが見えるからです。
①お父様は誤った情報で自分たちを誤解している。
②お父様は正しい情報を何も知らされていないために、自分たちのことを知っていない。
③お父様は高齢で既にボケ始めているので、誤解を解消しようとして行動しても、かえって誤解が大きくなってしまうから、関わらないようにしよう。


この様な論調を「777」は全く受け付けていません。この様な論調が受け入れられるとするなら、お父様のみ言葉が、お父様が立っていた環境状況によって理解のあり方が変化してしまうからです。


所詮お父様の周辺は堕落人間達ですから、奸臣達でなくとも、お父様には誤った考え方や、伝えるべきものが伝えられないような状況は常に発生するものです。(似たようなことは、どの組織においても起こります。)


お父様に奸臣達が正しい情報を伝えていなかったとしても、お父様はそれを全てご存知であられたというのが「777」の立場です。馬鹿の壁と見えるでしょうね。


このスタンスを譲れないので分かりやすく「絶対メシヤ」としました。


もう一点、常に発生している状況判断の情報というものは、摂理の方向に第一義的な方向を与える材料にはなり得ません。この世で発生する情報戦争と復帰摂理のあり方を一緒にしないことが重要です。


摂理の方向を決定する第一の要因は、お父様と完全一体化すること、信じること、従うことです。



アブラハムがイサクを献際に行く時にイサクが「火と薪とはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。とお父さんに聞いた際、アブラハムは「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」と、アブラハムは方便的に嘘を言ってイサクを献際しようとしてのです。


この時何故、アブラハムは義人となったのか、そして、イサクは何故アブラハムの信仰を引き継ぐことができたのでしょうか。


理由はたった一つ、アブラハムは最も神様を恐れる信仰を持っていることをイサク献際をとおして示したからです。更にはイサクは自分を殺して献際しようとしたアブラハムと一体となったからでした。
捨てられても神様と一体となられたイエス様の十字架も同様です。お父様の聖和も同様です。



堕落は騙して誘引して堕落しましたから、堕落人間の常として持っている堕落性、サタンの根っことも言えるものは、自分の正当性を述べることにあります。カインがアベルを殺害したのもそうでした。共産主義もそうです。そして、相手を非難し続けます。


更には、声の大きい方に人間は傾きやすいものです。たとえ誤った情報でも繰り返されることによって人間は騙されるものです。もう一つ、多くの人間が同じことを言っていると、他の人も同調してしまうと言う過ちが起こります。


これらの問題を信仰において払拭する方策はたった一つあります。それは、神様と完全に一つになることです。


何が正しいか間違っているかという問題も大切ですが、信仰においては、それは大二義的に過ぎません。信仰において第一義的に重要なことは、信じること、従うこと、許すこと、愛することです。
問題は自分にあるということです。


そのうえで、どんな立場であれ、神様と一体となることです。お父様と一体となることです。


洗礼ヨハネも事情があってイエス様と一体化ができなかったのです。
その事情とは、イエス様の出生の秘密を知っていたことと、家庭内の不一致でした。


洗礼ヨハネが荒野で教えていたことに対して、イエス様の出生のあり方が律法に反する様に見えたのです。洗礼ヨハネには神の教えに背く立場で生まれたイエス様を信仰において受け入れることができなかったのです。


その様なイエス様と一体となる為には、洗礼ヨハネは一旦完全に死ななければなりませんでした。信仰の絶対基準は、弁解無用、正当化無用、自己主張無用、完全自己否定の基準です。


お父様は金百文牧師の失敗によってサタンが侵入したので、その基準を分立する必要がありました。それが、40年路程だったのです。
お父様は堕落人間の立場に降りられて40年路程を歩まれ、弁解無用、正当化無用、自己主張無用、完全自己否定の基準で絶対信仰、絶対服従、絶対愛の勝利基準を立てられたのです。


その勝利基準を40年路程を終えて、次は、洗礼ヨハネのような人物が相続しなければなりませんでした。


イエス様がモーセを見本として歩まれたと語られたように、お父様もイエス様を典型路程として歩まれるようになりますから、洗礼ヨハネ、金百文の様な人物が必ず必要になると言えるはずです。


お父様の40年路程における三つの摂理の中で、最も困難を極めて、今なお深い傷跡として残っているのが「六マリア摂理」だったと言えるのです。
三つの摂理とは、
 1)真のアダムを誕生させる為の隠れた摂理・・・六マリア摂理
 2)第一イスラエル、第二イスラエルのサタン分立路程・・・統一教会
 3)「メシヤ宣言」以降の摂理の準備・・・洗礼ヨハネを教育し立てる


お父様の中心家庭にサタンを分立する為の暴風が吹き荒れた摂理だったと言えるのです。お母様も子女様も、大先輩家庭の方々も、外からも中からも暴風に見舞われて、前に進むしかない死のような道を、その真っ直中をお父様にしがみつきながら歩いてこられたと言っていいと思います。


この観点が間違っているなら、これに代わる復帰原理の基準を示してほしいと思います。


また、お父様が騙されたと言うことがあったと他のブログが語るように、事実あったのでしょう。
カインアベル問題が燻り続けていましたから、私もそう思います。


しかし、お父様は打たれて復帰する原理の道を歩まれますから、お父様と一体となるためには、象徴的に同じ立場を通過するようになります。


しかし、象徴的とは言っても、本人にとっては全人格的な否定の道になりますから、洗礼ヨハネがそうであったように、簡単には超えられません。


だからと言って、お父様と一体となれなかった理由が「お父様が奸臣達に騙されていた」からであったと言うのは、信仰の道においては全く認められません。この世の組織運営とは全く違います。


本当にお父様と一体となっているということなら、その一体を最優先するとことに迷いはなく、自分の持っているあらゆるものを犠牲にしてでも、犠牲を多くすればするほど、お父様との一体化の証しが価値あるものとなり、誰の目にも分かるようになったと思います。


お父様から一方的に与えられた華々しい義人の道ではなく、自らも天宙的義人にふさわしい道を歩む為に、全てを捨ててお父様に帰ることが必要だったと思います。


今も、お父様との一体化・相続式が必要である為に、この問題は継続していると思います。お父様の必死なる声が聞こえてきそうです。


でも、それができないでいると言うことは何を意味しているのでしょうか。


名誉も、財産も、全て失ったとしても、裸でお父様の元へ代えるべきだったと思います。郭先生が背負った名誉、機関基盤こそ、イサクが背負った薪だったのです。その薪と一緒になってお父様は郭先生を供え物にしようとされたのだと思います。


お父様の七度の死の峠の勝利基準を相続する為には、お父様から与えられた全てを捨てること、イサクとなるべきだったと思います。執念深いサタンが讒訴できないようにする為です。完全サタン分立です。


サタンは観念的存在ではありません。実体人間として存在しています。たった一人からでも讒訴受けるなら、それを解決せずにはみ旨を成したとは言えないのです。


機関基盤の全ては、日本の信徒達の血の滲んだ献金によるものです。自殺者が出たり、カード破産者が出たり、家庭崩壊が起こったり、この様な問題によって生まれた機関基盤であることを神様も、サタンも絶対に見逃すはずがありません。たとえ、郭先生に個人財産においては責めが全くないとしてもです。(郭先生個人においてはお父様がお認めになっておられるみ言葉があります。)


郭先生が華々しい姿でお父様から用いられてきましたから、郭先生の周囲には妬みの渦が起こっていたと思います。予告なしに全てを捨てる摂理が来たことは、それを分立する為の摂理だったのです。


郭先生はご存命中に、その機関基盤の一切を元に戻すことが天の願いだと思います。
それをどう使うかは統一教会の問題です。「カイザルのものはカイザルに・・」です。


この捻れた問題は、お父様が聖和された後の、最も心痛い問題の一つです。



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もう一度整理します。
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①お父様は誤った情報で誤解している。
②お父様は正しい情報を何も知らされていない。
③お父様は高齢で既にボケ始めている。


①②③のように、お父様のメシヤ性が溶解してしまったとしたら、それこそ、サタンの付け入ることを許すことになります。


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以前、常に先頭切っている人気ブログ「情報提供火に油を注げ!」さんが、お父様はボケたという論調をアップしたことがありましたが、「777」はこの様な論調は受け付けられないとして、「お父様はボケた!!に異議あり」と反論し、ブログがちょっと炎上したことはご存知だったと思います。


今回も、「777」が総攻撃受けて撃沈しても、名誉の撃沈と思います。


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この続きがあるかも知れません。


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