平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

●『祝福家庭と理想天国』2・・お母様を憎んだ女性たち・・お母様は3年間、他人の家で暮らした・・お母様の勝利によって神の日が制定・・完成期完成級に到達

本日のみ言は前回のつづき、二回目になります。


平和の主人から見えてきた摂理的観点を念頭に置いて、このみ言を読みますと更に深く理解できるようになることと、新たな疑問なども起こるようになります。


ーーーーーーーーーーーーーーー


『祝福家庭と理想天国』   第二回目 (三回に分けます)


途中の緑文字は解説になります。


第六章 ご父母様の聖婚と祝福家庭
  第一節 ご父母様の聖婚と七年路程



  4、ご父母様の家庭的十字架路程


 一九六七年までは、先生の家庭を中心とした摂理が別にあります。この法度の中では、神様も先生もどうすることもできません。最も困難なとき、最も信じ得る環境をつくらなければなりません。(22)


 六千年の歴史は、個人的に十字架を負って来た歴史です。しかし、家庭的に十字架を背負っていくべき期間が残っています。それでは、その家庭的十字架を誰が負いますか。今までその十字架を、誰も負おうとしませんでした。イエス様も民族と国家を代身した十字架を負い、家庭を築いて世界に向かって進んでいかなければなりませんでした。しかし、民族と国家の十字架を背負って亡くなられたので、再蕩減しなければならないのです。
それによって、個人的な十字架の道が残されるようになり、家庭的な十字架の道が残されるようになったというのです。
このように六千年歴史が石の峠(=とても困難な)道を経てきたので、両面的な蕩減をしていかなければなりません。これをするために、先生が六〇年代まで個人的な十字架の道を歩んできたのです。


 この十四年路程は、ヤコブが歩んだ十四年路程と同じ期間です。その期間を越えてこそ、家庭を築いてその家庭の四位基台を中心として地上に基盤を確立し、伸ばしていくことができます。


 個人的な十字架の道において、誰が自分に同情してくれても、その同情を受けては絶対いけません。同情することができないだけでなく、同情されることもできない蕩減路程を歩んでいかなければなりません。


 先生がこのような個人的な蕩減路程を果たし、家庭として生活の土台を備えた六〇年代からは、家庭的十字架の道に突入するようになりました。それで、先生が皆さんを直接指導する仕事を中断したのです。先生は一九六四年の夏まで、この場で聖日の礼拝の説教をしました。
ところが、なぜそれをやめたのでしょうか。それは、外的な問題より内的な問題がもっと切迫したからです。先生が六千年の歴史を蕩減すべき使命を負っているので、皆さんと教会より、家庭的十字架をどのように蕩減するかという問題を中心として来たのです。このような事実を皆さんは知らなければなりません。
このような過程を経て「父母の日」を策定し、「子女の日」を策定し、「万物の日」を策定し、「神の日」を策定したのです。
先生が一九六〇年から始めて、一九六八年度一月一日を期して、神の日を宣布するときまでの内的な受難の路程を、皆さんは知らないでしょう。永遠に知らないでしょう。先生がこの道に来ながら今までどのような過程を経てきたのか、皆さんは知らないでしょう。(23)


  5、お母様を通した七年路程


 堕落は、女性のエバから始まりました。聖書にははっきり記録されていませんが、当時エバの年は、いろいろな状況から見て十六歳ぐらいに推定されます。エバは少女時代に堕落することによって、神様が信頼すべき人類の母の基準を喪失しました。ですから復帰の原則に従って、真の母になるべきその方は、二十歳になる前に選ばれなければなりません。そして先生の聖婚式は、四十歳を越えてはなりません。そのような関係で、先生は若い妻を迎えて、娘のように愛しました。(24)


 エバは堕落することにより、神様の前に愛する娘の本分を果たせず、アダムの前に妹の本分を果たせず、妻の本分を果たせませんでした。ですから先生は、お母様を娘のように育て、兄の立場で愛してあげ、新婦として対さなければなりませんでした。堕落によって偽りの父母、偽りの兄の愛を受けたので、お母様になるべき人には、偽りの父母、偽りの兄がいてはなりません。


 お母様は、妹のようで妻のようで娘のような人でなければなりません。どんなに困難なことがあっても、自分の父母や兄など、訪ねて訴えることのできる家族や親戚がいてはなりません。(25)



 聖婚式以後、最初の七年間は、お母様を育てる期間として天的な家門と家法に従った教育をしてきました。先生はこの期間、夜も寝ず、ずっとそのことのために祈祷しました。(先生は)お母様もよく気づかないうちに、このようにして、堕落の結果として失ってしまった神様の娘と、その相対基準と、真の父母の基準、この三つを実体として復帰しました。これは堕落した人間始祖の後孫であれば、誰もが行くべき道なのです。(26)


(教育してきたということは、天的な家門と家法に合格するように蕩減の道として「六マリア摂理」が中心にあることを意味しています。
六マリア摂理とは、①実体として関係する本妻と妾ということもありますが、信仰的なつながりの、つまり、②姉妹的次元の本妻と妾という象徴的な関係まであります。
私たちのような多くの祝福家庭は②の関係になります。①②のどちらも妬み嫉妬という強烈な「恨」の闘いが展開されますから、お母様の教育というのはこの試練を信仰で超えることを言っておられます。)



 先生はお母様を迎えましたが、ほかの人の家に送って、初めの三年間苦労をさせました。それで、初めは気にくわないといって憎んでいた統一教会の女性たち、おばあさんから女の子たちまで全部、「ああ先生、あんまりです。お母様をお迎えになって一緒にお暮らしになればいいのに、なぜ外に出して苦労をおさせになりますか」と言いながら、同情するようになったのです。全部お母様側になったのです。そうして、再びもとの位置に、位置を確立して帰ってくるようになったのです。


(本妻と妾は愛の戦争が繰り広げられますから、お父様は愛するお母様を勝手に愛することができませんでした。カイン圏の妾からお母様が受け入れられるように配慮したのです。)


 蕩減復帰摂理は、どうすることもできません。お母様も強く大胆に七年間の蕩減期間を経なければならなかったのです。ところで、お母様が立派なのは、自分のお父さん以上に私を信じようとしたことです。私がおじいさんのように感じられたといいます。このようにおじいさん以上、お父さん以上、お兄さん以上、百パーセント信じてきたのです。このように塀を越え谷を通りながら、全部位置を確立してきたのです。


 男性が勝利した後には、女性が勝利しなければなりません。それで、反対するこの社会と国家で七年間蕩減の過程を経なければならなかったのです。


 聖婚式を挙げた以後、父母の日、子女の日、万物の日、神の日まで探し立てたのです。(27)


 神の日は、お母様が責任を果たしたので設定することができました。世間にどんなことがあっても、七年間、お母様の私に対する心は変わることがなかったというのです。死んでも変わることなく、夫が行く道をついていこうという覚悟と姿勢で、七年路程を越えました。


 エバが神様を信じることができない立場で堕落したので、代身して蕩減する立場で神様が信じることのできる立場に立たなければならず、また、エバがアダム(夫)を堕落させたので、夫が百パーセント信じることのできる立場に立たなければならなかったのです。ところで、お母様は不信の人類歴史の中で、初めて神様と夫が百パーセント信じてくれる立場に立つことによって、その心の基台の上で、神の日が設定され得たというのです。


 そのときが一九六八年でした。男性の蕩減復帰基準と女性の蕩減復帰基準を立てて、アダムとエバが長成期完成級で堕落したのを復帰する七年過程を経て、八年目を迎える一九六八年に初めて完成期完成級で夫婦の資格、夫の資格を備え、この地上に現れることができました。


 そうして家庭を率い、息子・娘を率い、国家基準を越え世界に向かって出動することができたので、そのときアメリカに渡ったのです。(28)


 第一次七年路程期間は、お母様の受難期でした。娘をもった数多くの統一教会の女性たちが、お母様を憎んだのです。それで三年間、お母様を外部世界の他の家で暮らすようにしました。そうすることによって、統一教会の女性たちがお母様に協力し得る環境を造成しました。強制的方法によってではなく、自然に従順屈服しなければならなかったのです。そのような七年期間を経ることによって、本然のお母様の位置に上がるようになったのです。


 お母様を探し立てるための第一次七年路程が終わって初めて「神の日」を宣布することができました。


 その期間中に「父母の日」、「子女の日」、「万物の日」を宣布し、「神の日」を宣布したのです。「神の日」を宣布しつつ、神様に対し得る家庭的ひとときを迎えたのです。(29)



  6、一九六〇年代の摂理的標語


 一九六〇年度は長成期完成級に該当します。完成期は七年です。(30)


 一九六〇年代の私たちの標語は何でしたか。まず「生涯中、最高の実績を残す年にしよう」というものです。次の年には、「お父様の代身者になろう」、その次の年には「見せてあげて誇れる者となろう」、その次の年には「勝利的主管者となろう」というものでした。それは先生を置いて言った言葉でした。先生の生涯最高の実績は何でしょうか。神様の復帰歴史を中心として見るとき、最高の実績を残した年が一九六〇年代だというのです。
それゆえ、神様の代身者となって使命を果たさなければならないのです。神様の代身者となるためには、見せてあげて誇る基準がなければなりません。それには、四位基台を復帰しなければならないのです。三年の間に、四位基台を復帰するのです。それをしたので、勝利的主管者となろうという四年路程の標語が出てきたのです。


(「勝利的主管者となろう」と語られたこの年にお父様は「実体サタン屈服儀式(一九六四・六・九〔陰暦四・二九〕、前本部教会)」を挙行されました。これは今後お父様が平和の主人の(7-2)(10-4)のような、サタンの相対者との遭遇をあらわしており、実体サタンとの対応のあり方を三度に渡って示されています。)


 これが今まで先生がしてきた闘いでした。ですから、皆さんもこの標語を中心として、皆さんの生涯の最高の実績を残すために七年路程に入っていかなければなりません。その次には、神様の代身者とならなければなりません。蕩減復帰するためには、サタンと闘って(サタンに)押されてきた、神様の歴史的な悲しみを全部解怨してあげることのできる勝利者、すなわち神様の息子・娘にならなければなりません。
そうすることによって、神様の代身者となるのです。そのような立場でサタンを屈服させてサタンが讒訴したのを防いでおき、神様の息子・娘として立つならば、神様はこの息子・娘を天地間に見せてやり、誇らなければならないというのです。


 四位基台の完成は、創造目的の完成なので、サタン世界を屈服させる原則になるのです。ですから私たちは、サタンを自然屈服させ得る勝利的主管圏をつくらなければなりません。
それをつくり、大韓民国と世界に出ていこうというのです。皆さんは知りませんが、これは全部公式的なことです。皆さんはそのような標語をもって出ていき、生涯最高の実績を残さなければなりません。それでは、皆さんの七年路程の出発はいつでしょうか。一次七年路程を全部成したというのは、全体を中心として言う言葉です。皆さん個人の七年路程をいつ出発するようになりますか。それは皆さん各自がみんな違います。(31)


(神様の国の再創造するには、先ずはじめに「サタンを自然屈伏させる」ことにあると語られています。)


 七年路程の初年の標語は「生涯中、最大の実績を残す年にしよう」であり、二番目の年は「お父様の代身者となろう」であり、三番目の年の標語は「見せてあげて誇れる者となろう」だったのです。その次の四番目の年から七年路程が終わるときまでは「勝利的主管者となろう」という標語で貫くようになったのです。また、前の三年期間には、連続で三六、七二、一二四家庭の成婚式を挙行し、南韓各地に任地を与えて固定配置しましたが、これはイスラエル民族がカナンを復帰した後、十二支派を中心として新しい地を分配したのと同じ意味があるのです。(32)


 一九六〇年代から、新しい歴史時代に入ったという事実を知らなければなりません。新しい歴史時代に入ることによって、新しい氏族がここに顕現するでしょうし、新しい国家、新しい世界の形態がここに現れるようになるというのです。今までこのような起点を中心として、統一教会では数次にわたって祝福行事を挙行したのです。


 このような行事によって、彼らが祝福を受けることだけで終わってはならないのです。このような行事を経て、民族の前に、世界の前に、復帰摂理の路程の前に、一つの勝利の盾、勝利の起点を広げてきたという事実を私たちは知っています。(33)


 一九六〇年以後、歴史がこのように急変するのは、統一教会を中心とした神様の摂理があったからです。なぜこのような大転換期に入ったのかということを、現代の歴史家は理解できません。皆さんは、皆さんに施す祝福が、すなわち模範を見せてあげるためのものであるのを忘れてはなりません。(34)


 霊界は今まで大混乱が続いてきました。川の水が流れて海に集まれば、大海を成すようになります。しかし、霊界は谷間谷間ごとに流れる水をせき止めてダムをつくっておいたのと同じです。それによって、水が海に流れ得ないようになっているのと同じ立場です。今は築いた堤を壊してしまうべき時代です。六〇年代以後からは、堤を取り壊す役事が起こっており、それによる大混乱が始まりました。


 決定的な勝利を占めるのは、霊界にかかっているのではなく、地上にかかっています。元来、堕落は夫婦が共にしたので、夫婦が協助してその立場を克服し、息子・娘が協助しなければなりません。復帰時代は、家庭を中心とした摂理を行うようになったのです。ノアの八人家族をはじめとして、アブラハム、イサク、ヤコブの三代を経て蕩減基盤を形成してきました。


(霊界の役事が先にあるのではありません。その様な原理はありません。お父様も、「地上にかかっている」と明確に語られています。清平は今も「全てはお金の為」に間違った方向に向かっています。)


 六〇年代前までは、家庭ではない個人を中心とした仕事をしてきました。先生は、個人的にたくさんのうわさと反対を受けながら越えてきました。六〇年度に初めて家庭をもち、神様の愛を横的に展開させるようになったのです。それ以後に祝福を通して基盤を広げてきました。祝福を受けるためには、家、父母、自分よりも、神様をもっと愛さなければなりません。
祝福は愛の十字架を越えていくことなので、「父や母や妻子を私よりも愛するものは、私の弟子となれない」というイエス様のみ言のように、祝福を受けるために家庭を逃げ出してくることが生じたのです。
アブラハムがカルデヤのウルを去ったのと同じく、神様の召命を受けて故郷を去るようなことが生じました。それによって悪いうわさが流れました。このようなことは誰かがさせたのではなく、個人の内的な刺激によって生じたのです。(35)

×

非ログインユーザーとして返信する