◆◆第10弾 (10-4)を何故、削除したのか? 1
意図的に削除されたシリーズ、最後の(10-4)です。
この内容が解読できた時に私の心は凍りついてしまいました。この世の一般的な価値観からしたら、とても受け入れることができる価値観ではありません。
しかし、愛の堕落を再蕩減するという蕩減復帰原理を知っている私にとっては、暫し足を止めて立ち止まってしまいました。
それでは、(10-4)の原文を紹介します。
もちろん、削除されたみ言です。
【 】が削除されたみ言です。
↓ーーーーーー引用はじめ
文総裁の家庭はなくならないので、血筋を中心として同族圏をつくるのです。
【 韓国とモンゴルは同じ種族です。モンゴルのラマ教(チベット仏教)が、どんな主義か知っていますか。
外部からお客が来ると、妻と関係して子を生むことを望む思想があります。
ラマ教では、夫が自分の妻をお客に譲り渡すのです。譲り 渡して生んだ息子を自分の国の王に立てるという思想があるので、堕落していない伝統の血筋を中心として上がっていくのです。
アロンの芽の出た杖のように杖を挿しておき、そこから反対に大きくなれる既婚者の血筋でなければ、天に帰ることができないのです。 】
↑ーーーーーー引用おわり
私はこのみ言の前に数ヶ月間立ち止まってしまいました。昨年の11月からです。雷に打たれた感じでした。そして、今年2月にブログ「777」のアップとなったわけです。
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(10-4)を解く為に助けとなったみ言、二つ紹介します。
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(10-4)の解説は次回にします。
下に紹介する二つのみ言を自分の信仰に同化させるように一字一句拾い読みして、疑似体験するような心情圏を通過しないと、(10-4)は理解できないと思います。
神様のいるところにサタンがいて、一歩間違えば直ちにサタン側に引きずり落とされてしまうという、神とサタンの一線上にある、正に刀の刃の上を歩くような信仰の道です。
「私にとって体を打たれたというようなことは、神様の悲しみを思えばなんでもないことであった」とお父様が語られたことがありましたが、お父様にとっての一番悲しく苦しかった蕩減の道は「愛の怨讐」を愛することであったと語られています。
愛する妻を奪われる、愛する子女様を奪われるという怨讐です。
お父様はこの怨讐に対して、奪われることを待っているのではなく、愛する妻、子女様を自ら進んで与えて超えていく道を歩まれるのです。
(10-4)の解説は、下記の二つのみ言をお読み頂ければ十分に解釈できる内容です。
何度も何度も、下記の二つのみ言をお読み頂いて、(10-4)を聖和前に残されたことが何を物語っているのか、祈り求めてください。
韓国の統一教会はこの問題(六マリア摂理)を「お父様の間違いであって、お母様は間違っていない」として隠してきました。
日本の統一教会はこの問題(六マリア摂理)をなかったこととしてタブーの扉に鍵をしてきたのです。
(10-4)は六マリア摂理のほんの一端でしかありませんが、お父様を正しく知る為には、韓国でも日本でも捻れてしまった六マリア摂理を正しく理解しなければなりません。
その意味では、亨進様が語られた六マリア摂理の説教は、60年の封印された扉の鍵を開けたということです。
これは大変な功績と言えます。
この軸を失わないで八大教本を契約の箱(8-2)として掲げていけば、一層、お父様への回帰、お父様へのリバイバルが始まったことになります。
全ての愛の再創造は、ここを正しく理解することから再出発する必要があると思います。
① 七七七双聖酒式後の御言 (ユダ、皆さん、聖進様のお母様)