平和の主人 血統の主人

まさに、成約時代の毒麦となられたお母様

《 黙示録18章 3-10 節 》

3 地の王たち(幹部たち)は彼女(お母様)と姦淫を行い、地上の商人たち(教会長たち)は、彼女の(高額献金を得た)極度のぜいたくによって富を得た。

7 彼女(お母様)は心の中で『わたしは女王の位についている者であって、やもめではないのだから、悲しみを知らない』と言っている。

10  彼女(お母様)の苦しみに恐れをいだき、遠くに立って言うであろう、『ああ、わざわいだ、大いなる都、不落の都、バビロンは、わざわいだ。おまえ(お母様)に対するさばきは、一瞬にしてきた。

◆◆第1弾「平和の主人」から5ヶ所削除した金補佐官 はじめに

①意味不明な「平和の主人、血統の主人」


試しに、webで「平和の主人、血統の主人」と入れて検索してみるとわかりますが、八大教本の一つであるにもかかわらず、誰が読んでも意味が分からなかった為に、真正面から取り上げて意義と価値について解説する人は全くありませんでした。



②お父様は「ボケた」と囁かれるようになった


2006年に始まって17回に及んだ「平和メッセージ」の摂理的な意義と価値を理解して捉えることができず、2009/7/7に語られた「平和の主人、血統の主人」は更に意味不明となってしまったが為に、ついに、お父様は「ボケた」という噂が囁かれるようになってしまいました。


お母様を取り囲んでいる奸臣達は、お父様の位相に傷つける言葉を決して語りません。反対に、あまりにも慇懃に「高齢になられたお父様の玉体は、私たちの不足を補う為に精誠を尽くされ、ついには限界に達しておられる」ことを「ボケた」と同意語として奸臣達同士で丁寧に確認しあったはずです。



③奸臣達の絶対不信仰


その結果、奸臣達はお父様が主催される訓読会において、ある時間が過ぎると途中退席は常態化するようになりました。

更には、「平和の主人」以降、奸臣達は指示事項の不履行に対して、お父様から咎められたとしても、返事だけはするものの、不履行に対する反省は全くなく、お父様に対して絶対不信仰が堂々とまかり通るようになりました。


あろうことに、現場にはお父様からの重要な指示事項は作文されて伝えられるようになり、お父様の名を利用した献金目標に対しての絶対信仰だけは、日本の地方教会で変わりなく叫ばれ続けました。



④日本版「平和の主人」前半だけでも、最も重要な5ヶ所が削除


しかし、ここで重要な問題があります。それは意味不明と言われた「平和の主人、血統の主人」から、前半だけで、最も重要な5ヶ所が削除されたということは、何を意味しているのでしょうか。



お父様が内密にしてきた内的摂理が「平和の主人」によって初めて語られ、み言が詳細に解読されればされるほど、この5ヶ所が如何に重要であるかが理解できます。これまでの摂理観のコペルニクス的な大転換が起こるみ言だったのです。



言い方を変えれば、日本版の本は前半だけでこの5ヶ所が削除されたことによって、全く意味をなさない「平和の主人」になってしまったということです。


さあ、ここで大変な問題が浮上してきます。


⑤削除を指示した人間は「平和の主人」の意味を理解していた


つまり、削除を指示した人間こそ、このみ言の意味を理解していたが為に、作為的に削除したと言えるのです。それもピンポイントで最も重要な5ヶ所を狂いなく削除したのです。



お父様は韓国語版のできあがった「平和の主人、血統の主人」を訓読会でこの人間に何度も指名して読ませました。このみ言はこの人間の為にあると言ってもいいみ言です。


この人間は(7-2)(10-4)からも分かりますように、中心家庭に50年近く仕えて、奸臣の中で最も上にいて、サタンの相対者となっている人間がいるのです。


その人間が削除を指示したとしか考えられません。


お父様が何を語られるのか常に聞き耳を立てている人間です。中心家庭の表も裏も知り尽くした人間であり、お父様の次に摂理の奥義を知っている人間であり、お父様が「愛するものを犠牲にして、怨讐を怨讐としないで最も怨讐を愛する」という戦法をとられることを知っている人間です。


お父様の真の愛を常に試みることを知っている人間です。



あるゆる嘘を恥じることなく語ることができる人間です。奸臣の仲間達も嘘をつく堂々とした彼の姿に言葉を失い、ついには彼に右習えします。お父様の性格を50年間、直に見て接してきたが為に、お父様は自分を絶対に罰することをしないことを体験的に知っています。


だから、いつも自信持って嘘をつくことができる人間になったのです。


お父様の真の愛が彼をしてそうさせたと言えるのです。真の愛は絶対に彼を裁かない、彼を追放しないで彼を愛するお父様です。子女様が奸臣達の手に落ちて追放されたとしても、それでも奸臣達の側に立たれるお父様です。



お父様は全ての基盤を奸臣に奪われたとしても、彼を呪わず、責任を果たすよう心配されたお父様です。


最期の息を引き取られる時も「供え物に口なし」となって、終始無言のまま子羊のように、彼〔=正確には二人の金=「二つの大きな力」(3-6)〕に命を預けられたのです。



⑥「主語」が削除されている。


更には、所々の「主語」が削除されることによって、お父様が何を言いたいのかが理解しづらくなっているヶ所もあります。


それでなくともお父様のみ言は人間の責任分担に該当する「主語」を省略して語られることが多くあるのも、み言を難解にしている特徴と言えますから、更にそこから「主語」が削除されてしまったら、更に解読が困難になります。




⑦幸いにも「平和の主人」がwebに削除前の原文に近い状態が残されていた

  

しかし、原文に近い状態で残っていたのは本の95ページまででした。




95ページ以降はまだ全ての検証が終えていませんが、原文に近い状態で本が出版されているのではないかと思います。


その理由は簡単です。


95ページくらいまでのみ言は既に起こったことを語られていますから、これまでの50年近い自分の罪状を隠す為に削除したのです。


95ページ以降は子女様に関することも多く語られています。

これから起こることが語られています。非常にリアルなみ言が語られています。



次回のブログは、削除された5つを紹介します。



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